紫式部 源氏物語 横 笛(よこぶえ)ー第三十七帖

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源氏物語 3 澪標ー少女 (岩波文庫 黄) [ 柳井 滋 ] - 楽天ブックス
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柏木が誠に儚くお亡くなりになりましたので、今も悲しく恋い偲ぶ人々が大勢おりました。

六条院におかれましても、柏木を誰よりも心にかけておられましたので、腹立たしく思いながらも、折々につけて悲しく思い出しておられました。

一周忌にも特別に誦経などをさせなさいました。何も知らぬ幼い若君をご覧になるにつけても、さすがに不憫でなりませんので、黄金百両のお布施をなさいました。

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夕霧も心を込めて、御法要等を営みなさいました。

残された一条の宮にも心尽くしてお見舞いなさいますので、父大臣も母上もお喜びなさいました。

亡くなられた後さえも、世間の評判が高いことが分かりますので、尽きせず思い焦がれなさいました。

山寺の朱雀院は、女二宮もこのような境遇になり、入道の宮(女三宮)も現世の幸せを捨ててしまわれましたことを、大層辛くお思いでございました。

山寺近くの林に生えた筍や山芋などに添えて、お手紙を書き送りなさいました。

世を別れ入りなむ道はおくるとも 同じところを君も尋ねよ

(訳)この世を捨ててお入りになった仏の道はわたしより遅くとも
同じ極楽浄土をあなたも求めて来て下さい……

入道宮が涙ぐんでご覧になっているところに、源氏の君がお越しになりました。

今では、御几帳を隔ててお逢いになりますが、とても可愛らしい宮の尼姿が、まだ子供のように見えますので、「どうしてこうなってしまったのか……」と胸を痛めておられました。

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若君はお寝みになっていましたが、起きて這いだして、とても愛らしくまとわりついては、筍を取り散らかし、囓(かじ)ったりなどなさいますので、

「お行儀の悪いこと……いけませんよ」と抱き寄せなさいました。口もとは愛らしく上品で、月日が経つにつれ、不吉なまでに美しく成長なさいますので、あの嫌なことを全て忘れてしまいそうに思われ、

「この若君がお生まれになるために、あの事件が起こったのだろう。逃れられない宿命だったのか……」と思い直しました。

けれども大勢のご夫人方の中でも、宮だけが尼姿でいらっしゃる事を思えば、過去の過ちは許し難く、今も大層口惜しくお思いでした。

秋の夕暮、心淋しい頃に、夕霧が一条邸にお越しになりました。

宮はくつろいでお琴など弾いておられたようで、香も薫り、衣擦れの音はは奥ゆかしい感じがしました。

虫の音が聞こえ、植込みに美しく咲き乱れている花々を見渡して、和琴を引き寄せなさいますと、人の移り香が染みて、心惹かれる感じがします。

「この琴には故人の名残りがこもっていましょう。お聞かせ願いたいものです……」と仰いますと、

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御息所(宮の母君)は、
「主人が亡くなりましてから、ただ物思いに耽っておりまして、すべてが悲しい事を思い出す種となるのでしょう……」と申されました。

御簾の側に琴を押し寄せましたが、お弾きなさるはずもなく、夕霧は無理にお願いはなさいませんでした。

やがて月がさし出し雲もない空に、雁が飛んでいきました。寂しい御心に誘われて、琴を微かにお弾きになりましたので、夕霧はますます心惹かれ琵琶を引き寄せ、優しい音色で「想夫恋」をお弾きになりました。

しきりに御簾の中に「どうかご一緒に……」と促しなさいましたが、宮はただただ悲しく、終わりのところだけをわずかにお弾きになりました。

ほんの僅かで心残りがしましたが、「秋の夜に遅くまでいるのも失礼かと、故人に遠慮いたしまして……また改めてお伺いいたしましょう」と、御心の想いをほのめかして退出なさいました。

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御息所は柏木が大切にしておられた御笛を夕霧にお贈りなさいました。

悲しみに胸迫って、仄(ほの)かにその笛を吹いてみますと、御簾の中から、

露しげきむぐらの宿にいにしへの 秋に変はらぬ虫の声かな

(訳)荒れた家に昔の秋と変わらぬ笛の音を聞かせていただき、
今も涙にくれています……

夕霧が帰るのを躊躇っているうちに、やがて夜も更けてしまいました。

御殿に帰られますと、皆はもうお寝みになっていました。

「ご主人様は一条宮にご執心……」と、誰かが報告したのでしょう。妻・雲居の雁はお恨みになり、眠ったふりをしていました。夕霧は、

「どうして固く鍵を閉めているのか。今夜の月を見ないとは……」と、格子を上げ、御簾を巻き上げさせて、端近くに横になられました。一条宮に想いを馳せ、

「どうして柏木は、あの宮に愛情をお持ちにならなかったのだろう……」などと、ご自分の夫婦仲が睦まじい年月を数えて、しみじみと感慨深く思っておられました。

少し寝入った頃、夢の中にあの柏木が現れました。例の笛を手に持って、
「この笛は、私の子孫に伝えたい…」と申しました。

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夕霧が「誰に……」と、尋ね返そうとしますと、傍らに寝ていた若君が急に怯えて泣き、苦しそうに乳を吐いたりなさいますので、乳母たちも起き出して、大騒ぎになりました。

雲居の雁は若君を抱いて、ふっくらと美しい胸を開け、お乳をふくませなさいました。
「こんな夜更けに戻られ、格子をお上げになるから、物怪でも入ってきたのでしょう」と、とても美しい様子で恨み言を仰いますので、

「母親になられ、すっかり思慮深く立派になられた……」とご覧になりました。

魔除けの米を蒔きましたが、若君は一晩中むずかって夜を明かされました。

夕霧は六条院に参上なさいました。源氏の君に夢の話をなさいますと、
「その笛は、私が預からねばならない理由があるのです。

これは陽成院の御笛で、故式部卿が大切になさったのですが、柏木が大層上手に笛を吹くのに感心して、お贈りになったのです」

「では、子孫に伝えたい……とは、誰のことでしょう。さらに臨終の折の遺言に、父君との行き違いを深く恐縮していましたが、一体何があったのでしょう……」とお尋ねなさいました。

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源氏の君は、「やはり気付いていたか……」と思うものの、全く心当たりのない素振りをして返事もなさいませんので、夕霧はきまり悪くお思いでございました。

( 終 )

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