紫式部 源氏物語 宿 木(やどりぎ)ー第四十九帖

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その頃、藤壺にお住まいの女御(にょうご)は、まだ帝が東宮の時に誰よりも先に入内(じゅだい)されましたので、帝のご寵愛は格別でございました。

明石中宮に大勢の御子がお生まれになりましたのに、この女御にはただ一人の女宮しかおられません。

けれども帝はこの女二宮(おんなにのみや)をとても大切になさいますので、華やかに趣き深くお暮らしでございました。

女二宮が十四歳になられ、御裳着(成人式)の準備をしておりました時、その女御は物怪に憑かれ、誠にあっけなくお亡くなりになりました。

四十九日の忌が過ぎましたのに、帝の悲しみは尽ることがありません。

この女二宮を参内させ、女御の形見として大切にご養育なさいました。

いずれこの姫宮を薫中納言に差し上げようとお考えでございました。

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服喪があけ、帝は御婚儀の日取りをお決めになりました。

御内意を承りましたのに、中納言ご自身は、今も亡き大君を忘れられずにおられました。

右の大殿(夕霧)は、娘・六君(ろくのきみ)こそ薫中納言に嫁がせたいと思っておられましたが、帝のご内意をお聞きになって、やはり匂宮との縁組みをお考えになりました。

匂宮にとっては嫌な話ではないのですが、ただ格式張った御邸に閉じ込められることが何よりも辛く、その上、好色な癖がおありのようで、

今も、あの按察大納言(あぜちだいなごん)の紅梅の姫君を思い捨てなさらずに、花や紅葉によせて御文を交わしておられました。

どちらの方にもご関心がおありのようでございます。

その年の五月頃から、中君はお食事を召し上がらずに、伏せてばかりいらっしゃいました。

匂宮はご懐妊とお気づきになり、大層嬉しくお思いでした。

右の大殿が、匂宮の結婚をお急ぎになると聞いて、中君は、
「浮気な方と聞いていましたが、やはり本当に……」と大層思い悩まれ、

「私のような数にも入らぬ身は、宇治の山里へ帰った方がよいのでしょう……」と山荘を離れた軽率さを後悔しておられました。

薫中納言は、「匂宮が、今は中君を愛しくお想いでも、女二宮とご結婚なされば、きっと新しい姫宮にお心移りしてしまわれるだろう。匂宮のお渡りを待ちながら、

独りの夜をお過ごしになるのは、何ともお痛わしいことだ……」と思うにつけても、この中君を取り戻したいと願う御心が、月日と共に募っていくようでございました。

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霧の立ちこめた朝、薫中納言は御庭に下りて、心細く咲いている朝顔の花を引き寄せますと、大層朝露が散り降りました。一輪手折って二条院にお持ちになりました。

やはり中君は辛そうに、思い沈んでおられました。

中納言は朝顔の花を扇の上に置いて眺めておられましたが、次第に紅く変色していく様子が大層趣き深く見えますので、そっと御簾の下から差し入れて、

よそへてぞ見るべかりける白露の 契りかおきし朝顔の花  (薫中納言)

(訳)貴女を姉君と思って、私のものにしておくべきでした。白露(大君)が約束しておいた朝顔の花ですから

消えぬ間に枯れぬる花の儚さに 遅るる露はなほぞまされる (中 君)

(訳)露の消えぬ間に枯れる花の儚さよりも、後に残る露はもっと儚いのです

何を頼りに生きていけばよいのでしょう……」とお詠みになったご様子が、亡き大君の面影を想わせ、とても愛おしく思われました。

中君が、「今は静かな所で過ごしたいと存じます。この二十日の御命日には、どうか人目を忍んで私を宇治に連れて行って下さい」とお願いなさいますので、薫中納言は、

「故宮のご命日は阿闍梨に万事頼んでおきました。山里にお帰りになり、ご出家などと迷いが生じても困りますから、やはりここでゆったりと……」とお慰めなさいました。

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遂に、匂宮と六君の婚儀が執り行われました。右の大殿の御邸では、六条院の東の御殿を磨き上げ、万事整えて匂宮をお待ち申し上げました。

十六夜の月が高く昇りましたのに、匂宮はお見えになりません。大殿は大層心配なさいまして、ご子息の頭中将をお迎えに遣わせました。

匂宮は、この愛しい中君を見捨てて出かける気にもなれず、ご一緒に月を眺めておられましたが、お迎えの御車が来ましたので仕方なく、大殿邸にお渡りになりました。

後ろ姿を見送る中君も、枕が浮いてしまうほどに涙が溢れました。

夜が更けて行くにつれて、その御心は乱れ、今夜は懐かしい山荘の椎の葉音が恋しく思われました。

匂宮が結婚された後は、二条院に度々お渡りになることもできなくなり、中君にとっては、待ち遠しい日が空しく過ぎていきました。

「こうなると分かっていたのに……」と繰り返し悲しくお思いになり、やはり帰りたい……と、中納言に手紙を差し上げなさいました。

次の日の夕方、中納言がお渡りになりました。

中君は山里に帰ることを熱心にお願いなさいましたが「私の一存では……やはり匂宮にご相談なさいまして……」と申されました。

けれど、内心はこの姫君を我がものに……という気持ちを抑えきれずに、御簾の下からそっと手を伸ばして、お袖を押さえてしまわれました。

中君が奥に逃れようとなさいますと、物慣れた態度で御簾の中にお入りになりました。「呆れたことを、女房たちがどう思いましょう……」

「昔を思い出して下さい。亡き姉君のお許しもあったのですから……」苦しいまでの想いが募って、思わず涙ぐみなさいました。

中納言の気持はとても鎮めがたいほどでしたが、中君の腰に巻かれたご懐妊の帯を見て、大層いとおしくなられ、ようやく思い留まりなさいました。

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翌日、匂宮が突然お渡りになりました。長いご無沙汰を恨めしく思いながらも、姫君がとても可愛らしく振る舞っていらっしゃいますので、匂宮はますます愛しくお思いになりました。

お腹がふっくらして腹帯が結ばれているお姿に、なぜか薫中納言の移り香が深く染みついていますので、不審にお思いになって、お尋ねになりました。

けれども、中君にはお返事のしようもなく、大層困ってしまわれました。

「こんなに香るのは、何もかも許したのであろう」とまで仰いますので、誠に情けなく、
「信頼していた夫婦の仲も、この程度の香りで切れてしまうのでしょうか……」とお泣きになりました。

その様子があまりにも可愛らしいので、匂宮は恨むこともおできになりませんでした。

ある夕暮れ、薫中納言は二条院をお訪ねになりました。

物思いに耽って外を眺めておられますと、だんだんと暗くなって虫の声だけが聞こえてきます。

今も故大君への想いを断ち切ることの出来ないご様子をお気の毒に思えて、

中君は、「そういえば……とても不思議なことがありました。今年の夏頃、遠方から女が訪ねてきたのですが、亡き姉君のご様子に大層似ていたので、しみじみ心打たれました……」と申し上げました。

薫君には、「故八宮が密かに情をおかけになった女が、子を産んだのであろう」と思われました。

九月二十日過ぎの頃、薫中納言は宇治にお出かけになりました。

風が激しく吹き、荒々しい水音に悲しいことばかりが思い出されました。

阿闍梨をお呼びになり、「ここに来る度に、いつも悲しいことが思い出されますので、あの山寺の側にお堂を建てようかと思うのだが……」

「まことにご立派な功徳でございます……」と阿闍梨は申されました。

いつの間にかすっかり日が暮れましたので、その夜はお泊まりになりました。

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弁の尼をお呼びになりますと、襖障子の口に青鈍色の御几帳を立てて、
「とりとめもなく過ぎ去ってゆく年月でございます……」と涙を浮かべて出て参りました。

大層労しく思えて、近くに寝かせて昔話などおさせになりました。

そして何かの折に、故八宮の御子の事を尋ねますと、
「北の方が亡くなられて間近かった頃、お仕えしていた中将の君(女房)に大層ひっそりと情けをお交わしになりました。

その後女の子が生まれましたのに、故宮は厄介な事とお思いになり、二度とお逢いになりませんでした。

女は宮仕えを辞めて、陸奥守の妻となりましたが、先年上京して、その姫がご無事でいらっしゃることが分かりました。

姫君は二十歳ほどになられ、とても美しくお育ちで……最近、何とか父宮のお墓参りだけでも……と望んでおいでになります」と申しました。

それを聞いて薫君は、「誠の事であったのか……その姫君に是非逢ってみたいものだ」とお思いになりました。

夜が明けました。山里には木枯らしが吹き抜け、紅葉もすっかり散り落ちていました。大層風情ある深山木に絡みついて蔦の色がまだ残っていました。

宿木(やどりぎ)と思ひ出ずば木のもとの  旅寝もいかに寂しからまし (薫 君)

(訳)宿木の絡む家を昔泊まった所と 思い出さなかったら 木の下の旅寝もどんなに寂しかったことでしょう……

正月朔日、ご出産が近くなり中君が大層お苦しみになりますので、匂宮は御修法などおさせになりました。

薫君は、女二宮の御裳着が近づきましたのに気が進まず、中君のご出産の事ばかりが気にかかって、忍んでご祈祷などおさせになりました。

早朝、無事に男御子(おとこみこ)がお生まれになりました。

一月、薫中納言は権大納言に昇進され、右大将を兼任なさいました。

二十日過ぎ、女二宮の御裳着の儀式が行われ、その翌日、薫大将が参上されご結婚なさいました。大層大切に傅(かしず)かれた姫宮ですのに、臣下と結婚なさいますのは、

やはり物足りなくお気の毒に見えました。

結婚されて後も、薫大将は心の中では亡き大君の事ばかりが想われ、昼はご自邸で物思いをして過ごされ、日が暮れると、気の進まぬままに姫宮のもとにお通いになりました。

大層億劫で辛いとお思いになり、「姫宮を三条宮邸にお引き取り申し上げよう……」とお考えになりました。

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お引っ越しの前日、藤の花の宴を催しなさいました。

上達部や殿上人が大勢おいでになりました。

荒涼殿の東に楽人をお呼びになって、箏の琴、琵琶、和琴など風雅に合奏させなさいました。

薫大将は、「この美を尽くした宴の他に、再びいつ名誉な事があろうか……」とお考えになって、あの故柏木(実の父)の形見の笛をお吹きになりました。

その音色はまたとなく美しく澄み渡っておりました。

帝の婿君になられた薫大将は大層ご立派に見えました。

庭に下りて拝舞なさるお姿は誠に素晴らしく、帝のご信任が並々ならぬことが分かるのですが、ご身分が低いために下の席にお座りになりますのは、お気の毒でございました。

その夜、姫宮を三条宮邸に退出させなさいました。姫宮は小柄で愛らしく、上品で欠点もなくおられますのに、薫大将には、亡き大君が今も恋しく思い出されますので、

「仏の悟りを得てこそ、諦められるのか……」と、寺の建造に心を注がれました。

賀茂の祭が過ぎましたので、宇治へお出かけになりました。今造らせている御堂をご覧になり、その後、弁の尼をお訪ねになりますと、女車が一台、山荘に入るのが見えました。供人も皆、狩衣姿で高貴な感じがします。

「誰の御車か……」とお尋ねなさいますと、
「常陸前司殿の姫君が初瀬に参詣し、ここにお泊まりになるようです」と答えました。

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寝殿の様子がこちらからよく見通せます。御車から降りた姫君は気分が悪そうにしておられましたが、気品があり穏やかで、その目元や髪のあたりが大君にとてもよく似ていますので、薫大将は思わず涙を落とされました。

「何という懐かしい人か……この方は紛れもなく故宮のご息女。この姫君とは前世からのご縁があったからこそ、巡り逢うことができたのだろう。

今は何としても、この姫君を、わがものにしたい……」とお思いになり、弁の尼を通じて、姫君の母(中将の君)にご意向をお伝えになりました。

( 終 )

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