源氏物語シリーズ 上生菓子 4個入練り切り きんとん 外郎 贈答用 ギフト お茶菓子 誕生日プレゼント 和菓子 生菓子 詰め合わせ – 京菓匠 鶴屋長生
六条院の賭弓の集いには、大勢の人々が参上なさいました。
衛門(えもん)の督(かみ)は気が進まない様子でしたが、女三宮がおられる辺りの桜を見れば、この苦しい想いが慰められることもあろうか……とお出かけになりました。
弓の優れた人々が凛々しく競っ合っていますのに、ただ物思いに耽っては、
「六条の大殿に降嫁したあの姫宮を、想い続けてよいものか。
……大それたことだ。ただ人から非難されるような振る舞いだけはするまい」などと思い悩んだ末に、「せめてあの日の唐猫でも手に入れて、
寂しい独り身の慰めに懐かせてみよう……」と思いつかれました。
弘徽殿の女御のところにお立ち寄りになり、
「六条院の姫宮(女三宮)のところにいる唐猫が、とても可愛らしい……」とお話ししましたので、早速、女御はその唐猫をご所望なさいました。
衛門の督はその唐猫が懐かないのを口実に、自分の手元に引き取り、昼も夜も身近において可愛がりました。やがて猫はとてもよく馴れて、甘えるようになりました。
ある日、衛門の督が端近くにおりますと、その唐猫が「ねょう、ねょう」と愛らしく鳴きますので「寝よう、寝ようと泣くのか……」と、思わず苦笑なさいました。
恋ひわぶる人のかたみと手ならせば なれよ何とて鳴く音なるらむ
(訳)恋しい人の形見と思いながら、手懐かせると、どうしてそんな鳴き声をするのか
愛しい姫宮のことを想いながら、その猫を懐に入れて、物思いに耽ってお過ごしになりました。
その頃、あの蛍兵部卿はまだ独身で、想いを寄せた方々は皆、叶わず、世間の物笑いになるのかと心配して、式部卿の大宮に漏らしましたところ、
大宮は、あの鬚黒の大将の愛娘・真木柱の姫君との仲をお認めになりました。
しかしもともと浮気癖のある宮は、この姫君を物足りなくお思いになり、今も亡き北の方を恋しくお想いのようで、真木柱の所にお通いの様子も大層億劫そうに見えました。
父・鬚黒大将も姫君を可哀想に思いましたが、そのような夫婦仲のまま、時が過ぎてゆきました。
年月が流れ、冷泉帝が即位なさってから十八年が経ちましたのに、帝はご自分のご出生について大層思い悩まれ、ある日突然に、帝の御位を退いてしまわれました。
源氏の君は退位されたこの帝に後継ぎがないので、子孫にまで皇位を伝えることが出来なかった……と残念にお思いになりました。
東宮の女御(明石の姫君)には御子が大勢いて、ますますの御寵愛に並ぶ者がないほどですが、世間の人々は、引き続いて源氏の血筋が皇后になられることを、不満に思っておりました。
六条院の姫宮(女三宮)は、帝が大層気遣いをなさいましたので、世間からも広く重んじられておられました。年月が経つにつれ、
源氏の君とのご夫婦仲も睦まじくなられましたので、紫上は「もうこの世はこれまで……」と度々、出家を望まれました。
けれども源氏の君は、
「何と辛いことを……。私自身が出家を望んでいながら、後に残す貴女のことが気がかりなばかりに、この世に留まっているのです。
どうぞその事は、私が出家した後にお考えください……」と聞き入れなさいませんでした。
秋になりました。源氏の君が、あの明石入道の御文箱を開けてご覧になりますと、中には子孫の永遠の繁栄を祈願した数々の願文が入っていました。
「あのような山伏で、よくぞこのような御願を……きっと前世の因縁で仮に身を変えた修行者だったのだろう……」と感慨深くお思いになり、住吉参詣に出立なさいました。
一行は上達部をはじめ、舞人や御神楽まで、優れた者ばかりを数多くお選びになり、御馬や鞍まで飾り揃えた見事さは、この世にまたとないほど素晴らしくございました。
女御と紫上は同じ御車に、次の御車には、明石の上と尼君がお乗りでございました。それに続くお供の車は、紫上の御方のが五台、女御方が五台、明石のご一族のが三台と、いずれも目も眩むほど美しく飾り立てておりました。
住吉の御社に着きましたので、東遊び(神楽)が催されました。玉垣に這う葛(かずら)も色付いて、秋の風情を感じられる頃、
松風に吹き立てる笛や琴の音が、波風に響き合って優雅で一層素晴らしく聞こえました。源氏の君は昔のことを思い出されましたが、
その当時の事を語り合える人も今は無く、しみじみと感慨深く思われました。
一行は一晩中神楽を奏して夜を明かされました。
紫上はいつも邸内におられ、御門から外を見物をなさることもなく、まして都より外にお出かけなさった経験さえありませんので、総てのものが珍しく、興味深くお感じになりました。
ご自分の人生を振り返り、「長い年月、源氏の君が大事にして下さる御陰で、その愛情は他の人に負けることはありませんでしたが、
余りに年を取りすぎたら、いつの日かそれも衰えてしまいましょう。そうなる前に、自らこの世を捨てて、出家をしたい……」と
一層強く思っておいでになりました。やはり女三宮をお迎えしてから、源氏の君のお渡りがだんだんと少なくなってきましたので「無理もないことなのか……」と悲しくお思いになりました。
源氏の君のおられない寂しい夜には、春宮のすぐ下の女一宮を手元にお引き取りになって、その姫宮のお世話をして、気を紛らわせておられたのでございました。
朱雀院は最期が近づいた心地がなさいまして、すっかり心細くなられました。
源氏の君は何をして、院をお慰め申そうかとお考えになり、来年迎えられる五十の御賀の祝を、二月十日頃に行うことをお決めになりました。
院は音楽にご造詣深くおられましたので、舞人や楽人などを特別に選りだして、心尽くしてその祝宴の準備をおさせになりました。
姫宮(女三宮)は以前から御琴をお習いでしたので、この機会に是非、父院にお聞かせ申そうと、源氏の君が朝から晩まで熱心にお教えなさいました。
やがて習得なさるにつれて、姫宮は大層上手になられました。
御年二十一ほどになられましたが、まだとても幼げで未熟な感じがしました。
父院に久しくお逢いしていませんでしたので、ご立派に成人なさった……とご覧いただけるように、大層努力なさったのでございます。
正月二十日頃、空模様も麗らかに晴れ、風が暖かく吹いていました。
御前の梅も盛りになりました頃、六条院で女楽が催されました。
廂の中の御障子を取り外し、御几帳を境にした中の間に、院の御座所を設けました。
明石の御方に琵琶、紫上に和琴、女御の君に箏の琴、そして姫宮にはいつもの慣れた御琴を差し上げなさいました。
調弦のために夕霧をお呼びになりますと、香の染みた鮮やかな直衣姿で、大層緊張して参上なさいました。各々の調弦が終わり、御方々が美しい音色で合奏なさいました。
姫宮は誰よりも小さく可愛らしげで、桜の細長をお召しになり、二月の青柳が垂れ初めたように弱々しく見えました。
女御の君は紅梅襲の御召物で雰囲気が奥ゆかしく、咲きこぼれる藤の花のようでした。
明石の御方は他の御方々に圧倒される気配もなく、萌黄の小袿は五月を待つ花橘の薫りを思わせ、その琵琶の音色は澄みきって美しく聞こえました。
紫の上は葡萄染の色濃い小袿をお召しになり、和琴を魅力的な爪弾きで華やかにお弾きになりました。源氏の君はやはり紫上こそ、またとない方とお思いになりました。
姫宮の琴は未熟ではありますものの、他の音色によく響き合って、朱雀院も扇を打ち鳴らして一緒にご唱歌なさいました。
月が遅い頃なので、灯籠に明かりを灯して、優雅な女楽は夜遅くまで続きました。
翌日、源氏の君は対へお渡りになりました。紫上に、「姫宮の御琴は大層上手になられたものだ。どのようにお聞きになりましたか」
「この上なく上手におなりです。あのように熱心にお教えなさったのですから……」とお答えなさいました。
紫上は今年三十七歳(厄年)におなりでございました。
世間では『すべてに備わってお気遣いをなさる方は、長生きしない……』とよく言われますので、源氏の君は何か不吉にお思いになって、然るべきご祈祷などを、例年より特別にさせなさいました。
源氏の君はご自分の半生をしみじみと振り返り、
「私は大層恵まれた育ち方をして、世の評判を手中にしてきましたが、愛する人々に先立たれ、取り残された晩年になっても心満たされず、悲しく思う事が多くございます。
貴女には、須磨流離の他には、心痛めるようなことはあるまいと思っています。
后としての気苦労もあり、思いがけず姫宮(女三宮)がお輿入れなさいましたのは、何やら辛くお思いでしょうが、それでも一層勝る愛情をお受けになったことをお分かりいただけたはず……、人並み以上のご運勢とお分かりでしょう……」
「仰るように、この身には過ぎた運命と世間には見えましょうが、心には物思いばかりがつきまとい、もうとても行く先長くない心地がいたします。
以前にも申し上げました通り、何とか出家をお許しいただきたく……」
「とんでもない。そうなれば、後に残された私に何の生き甲斐があるだろう。
今は朝に晩に顔を合わせるだけで嬉しく、……貴女を心から深く愛しているのです。
どうか最後まで私を見届けてください……」と強く申しなさいますので、紫上は大層胸が痛んで、ただ涙ぐんでいらっしゃいました。
そのお姿をご覧になりまして、源氏の君はなお愛しくお思いになり、心深くお慰めなさいました。
更に、「若い頃、葵の上(夕霧の母)を妻に持ちましたのに、夫婦仲が好ましくなく、心打ち解けぬまま亡くなってしまいましたのが、今も残念でなりません。
秋好中宮の母君(六条御息所)は、嗜み深く優雅な方でしたが、朝夕睦まじく語り合うにはとても緊張し、気詰まりな性格の方でした。
そのまま疎遠になりましたことを、深く怨まれたのは辛いことでした。罪滅ぼしに、今はその娘・中宮をお世話していますのを、あの世から見て、御息所は思い直して下さったでしょうか……。
明石の上については、身分が低いと軽く見ていましたが、従順ながらしっかりした人です。
しかし何よりも貴女が、女御の御為に心尽くしておられるご様子が、誠に素晴らしく思われます……」と心深く微笑みなさいまして、
「さて、姫宮に、琴をとても上手にお弾きになった御祝を申し上げて来よう……」とお渡りになりました。
紫上は、いつものように、源氏の君のおられない夜は遅くまで起きていて、女房達に物語など読ませてお過ごしになりました。
夜も更けてからお寝みになりましたが、その明け方、胸を病み大層お苦しみになりました。
女房が「大殿にお知らせ申しましょう」と言うのも制しなさって、苦しいのを我慢して夜を明かしなさいました。
女御の御方からこれをお聞きになって、源氏の君が急いでお帰りになりますと、紫上はお身体に熱があり、とても苦しそうに臥せておられました。
一日中側に付き添って介抱なさいましたが、我慢できないほどお苦しみになりますので、御祈祷などを限りなくさせなさいました。
このような状態のまま二月も過ぎました。源氏の君は大層お嘆きになり、紫上がお育ちになりました二条院へ、紫上をお移しになりました。
冷泉院も大層悲しまれ、大将の君(夕霧)も心尽くしてお見舞いなさいました。
紫上は、少し意識のはっきりしている時に、
「何度もお願いしていますのに、出家のお許しもなく、ただ情けない……」とお恨みになりました。とても頼りなさそうに弱々しくなられ、
もうこれきりと見えますので、御修法の阿闍梨(あざり)(高僧)たちも「何ともお労(いたわ)しい……」と祈祷申し上げておりました。
あの衛門の督(柏木)は中納言になられました。
世間の御信任も大層厚く、ご自分の声望が高まるにつけても、女三宮を慕う心は募るばかりでした。思い叶わぬ悲しさから、せめて心の慰めになろうかと、
その姉宮(女二宮)をご降嫁いただきました。人に見咎められない程度にお世話なさいましたけれども、やはり心慰められることはありませんでした。
もろかずら落ち葉を何に拾ひけん 名はむつましきかざしなれども
(訳)二つの鬘(かずら)の落ち葉の方を、どうして(妻として)拾ってしまったのか 名前は睦まじい簪だけれども……
六条院では、紫上の看病のために、源氏の君がずっと留守にしておられましたので、人目が少なくひっそりとしていました。
その時を見計らって、衛門の督が度々、小侍従(女三宮に仕える女房)を訪ねて来ました。
「このように寿命も縮むほどに慕っていることを、姫宮にお伝えしたいので、何とかして逢わせて欲しい。その姉宮(落葉の宮)を頂戴したというのに、
心慰められることもなく……」と溜息を漏らしました。
小侍従は腹立たしく思いながらも、源氏の君がおいでにならない夜が続き、姫宮も心細く過ごしておられますので、遂に手引きを引き受けてしまいました。
御禊の前日、人々はそれぞれに忙しく御前がひっそりとして人少なの頃、小侍従だけが姫宮のお側近くに仕えていました。
「今こそよい機会だ。せめて物越しに逢うのならば……」と、御帳台の東の御座所に、衛門の督を導き入れました。
姫宮はまだ無心にお寝みになっていましたが、近くに男の気配を感じ、源氏の君がおいでなのか……と思いました。
男は畏まった態度で、姫宮を浜床の下に抱き下ろしました。
姫宮が目を開きますと源氏の君ではありません。
恐ろしくなり女房を呼びましたが、誰も近くに控えていないようです。
その怯えるお姿がとても可憐に見えますので、衛門の督は懸命に抑えていた分別を、今は、すっかり失って……
「姫宮をお連れして、どこかにお隠し申し上げ、自分もこの世を捨てて姿を隠してしまいたい……」
その夜、うとうとした夢の中にあの唐猫が可愛く鳴きました。
衛門の督は、「やはり逃れられない宿縁があったのだ……」と思いました。
姫宮はただ途方にくれ、悲しく心細くお思いになって、まるで子供のようにお泣きになりました。衛門の督は、そのお姿を愛しく拝見して、御袖を涙で濡らすばかりでした。
起きてゆく空も知られぬ明けぐれに いづくの露のかかる袖なり (衛門の督)
(訳)起きても帰る行く先も分からない明け暮れに、
どこから露がかかって袖が濡れるのでしょう……
明けぐれの空に憂き身は消えななむ 夢なりけりと見てもやむべく (女三宮)
(訳)明けぐれの空にこの身は消えてしまいたいもの
夢であった……と済まされるように……
衛門の督は姉宮(妻)のところには帰らずに、大殿へおいでになりました。
横になられましたが眠る事も出来ずに、あの夢の中の猫のことを思い出していました。
「それにしても、大変な過ちを犯したものだ。源氏の君の御妻を……この世に生きていくことさえ出来なくなってしまった……」と、恐ろしくて身もすくむ思いでした。
悔しくぞ摘み犯しける葵草 神の許せるかざしならぬに
(訳)悔しい事に罪を犯してしまったことよ、神が許した仲ではないのに……
姫宮がご気分がすぐれないとお聞きになって、源氏の君がお渡りになりました。
特に苦しそうな様子もなく、ただとても恥ずかしがってお顔を合わされませんので、
「長く留守にしたことを、そんなに恨んでおいでなのか……」とお慰めになりました。
姫宮には、源氏の君が忍びの出来事にお気づきでないことがかえって辛く、つい涙が溢れるのでした。
源氏の君はすぐにお帰りになることもできずに、姫宮のところにおられますと、
「紫上が息を引き取られました……」と使者が参上しました。
源氏の君は突然のことに御心が真っ暗になり、急いで二条院にお帰りになりました。邸内には僧たちが立ち騒ぎ、誠に不吉な雰囲気に包まれておりました。
「まさか……臨終の時さえ、逢わずに逝ってしまったのか……」と大層取り乱し、「もう最期なのか……。
そうは言っても、これは物怪(もののけ)のしたこと。不動尊の御誓があるのだから、何とかもうしばらくの間でも、この世にお引き留め申して下さい……」と、
黒煙を立てて一心に加持祈祷をなさいました。
すると今まで全く現れなかった物怪が紫上の傍らにいる童女に乗り移って、大声でわめき立てました。
「他の人は皆立ち去りなさい。源氏の君ただお一人にお話し申したいことがあります」と、髪を振り乱して泣く物の怪は、昔、源氏の君がご覧になった六条御息所の死霊のようでした。
源氏の君はこの童女の手を捉えて、「本当に貴女ですか。はっきり名乗ってください……」と責めますと、童女はひどく泣いて、
御息所の声で、「私はすっかり変わり果てましたが、貴方は昔のままの酷い方です。
……先日、紫上に『御息所は気詰まりな性格の女……』と、私のことを悪く仰いましたね。それが恨めしく思われます。この紫上が憎くて取り憑いた訳ではありません。
ただ神仏のご加護が強くて、源氏の君のご身辺に近づく事ができなかったのです……」と申しました。
源氏の君は何とか物の怪を封じ込めて、紫上を別の部屋にお移し申しました。
そのうちに……紫上にはだんだんと生き返る気配が見えてきましたので、恐ろしくも嬉しくお思いになって、いくつもの御修法をすべて祈祷させなさいました。
紫上がずっとご出家を切望なさっていましたので、五戒だけを受けさせ、源氏の君はずっとお側に付き添って、
「どのようなことをしてでも、この紫上をお救いし、この世に引き留めておこう……」と仏に念じなさいました。そのお振る舞いは大層ご立派で凛々しうございました。
五月になり、湯薬を召し上がったせいか、紫上は少し回復なさいました。
御庭の池には涼しげに蓮の花が咲いていました。
青々とした葉の上に、露が玉のように輝いているのをご覧になり、
消え止まる ほどやは経べきたまさかに 蓮の露のかかるばかりを
(紫 上)
(訳)露が消え残っている間だけ でも生きられましょうか……
蓮の露のように儚いほどの命です から……
契り置かむ この世ならでも蓮の葉に玉ゐる露の心隔つ (源氏の君)
(訳)お約束しましょう。この世ばかりでなく来世にも、蓮の葉に
玉と置く露のように心の隔てなさいますな……
源氏の君は六条院にほとんどお渡りになりませんでした。
姫宮はあの忌まわしい出来事を大層お嘆きになり、先月からは食べ物も召し上がらずに、ひどく青ざめて窶(やつ)れてしまわれました。
姫宮がお苦しみと聞いて、源氏の君がお渡りになりました。
ちょうど姫宮は御髪を洗って爽やかにしていらっしゃいましたので、青白いけれど可愛らしげに見えました。
けれども良心の呵責に苛まれ、お逢いになるのも気が引けるのでしょうか。
源氏の君の仰る言葉にお返事もなさらないので、長いこと逢わずにいたことを、そんなに辛くお思いなのか……と、優しくお慰めなさいました。年輩の女房が、
「実は、ご懐妊のご様子でございます……」と申し上げますと、源氏の君は、
「妙だなぁ……今頃ご懐妊とは……」とだけ仰って、
まだ年端(としは)のいかない姫君をむしろおいたわしく拝見なさいました。
衛門の督が苦しい胸のうちを書き綴り、大層忍んで姫宮にお届けになりました。
人少なの頃を見計らって、小侍従がこっそりと姫宮にお見せしました。
ちょうどそのお手紙を広げたところに、源氏の君が入って来られましたので、姫宮はうまく隠すこともできずに、御褥(しとね)の下に急いで差し挟みました。
そして……すっかり忘れてしまいました。
源氏の君は御座所に横になられ、お話などなさいますうちに、日が暮れてしまいましたので、無情に帰るのも可哀想に思われて、その日はお泊まりになりました。
まだ朝の涼しい頃、昨夜なくした扇を探そうと、御座所の辺りにおいでになりますと、御褥の下から浅緑の手紙の端が見えていました。
何気なく引き出してご覧になりますと、男の筆跡で細々と書いてありました。
「これは紛れもなく、衛門の督の……」
姫宮はまだ無心にお寝みでしたので、源氏の君はそのまま退出なさいました。
繰り返し御文を読み返しなさいますとそこには長年慕い続けていた姫宮に、想いを遂げたその心情が熱く書き綴られておりました。
「……それにしても……これから姫君をどのようにお扱いしたらよいものか。突然のご懐妊とは、まさかこのせいなのか。何と忌々(いまいま)しいことだ。
誠に不愉快なことではあるが、顔色に出すべき事ではないし……」と大層思い悩まれました。
そして……昔の継母・藤壷中宮との逢瀬を思い出され、
「まさか故桐壺院(父院)も、実はご存知で、素知らぬ顔をしておられたのだろうか。
それを思うと誠に恐ろしい。あってはならない過失だった……」とお思いになりました。
源氏の君がお帰りになりました後、小侍従が、
「昨日の手紙はどうされましたか。今朝、大殿がご覧になっていた手紙の色がとても似ていたようですが……」と申し上げますと、姫宮は「褥に挟んで、
すっかり忘れていました……」と必死で捜しました。けれども見付かるはずもありません。
それからというもの、源氏の君のお渡りのない日が続きますのも、すべてご自分の過失とお分かりになり、姫宮は身の置き所のない気持がして大層お苦しみになりました。
一方、衛門の督の御心は一層募るばかりで、今一度姫宮に逢わせて欲しいと、女房に熱心に手引きを頼みました。
小侍従が「源氏の君はすべてご存知です……」と話しますと、衛門の督は大層驚いて、身も凍りつくような心地がなさいました。
「長い年月、源氏の君は誰よりも親しく御心をかけて下さいましたのに……」
それからというもの、内裏へも参上なさいませんでした。
源氏の君は、今も朧月夜の姫君を心から慕っておられましたのに、姫君は遂に出家をしてしまわれました。誠に口惜しく、御文に、
海人の世をよそに聞かめや須磨の浦に 藻塩垂れしも誰れならなくに
(訳)出家されたことを他人事と聞けましょうか
須磨の浦で涙に沈んでいたのは、誰ならぬ貴女のせいですから……
様々な世の無常を思いますと、私をお見捨てになったかと悲しく……昔からの辛い契りは心浅くはなかったはずですのに……」等と、細々とお書きになりました。
朧月夜はこれが最後の御文と決め、心してお書きになりました。墨継ぎも美しく、
海人舟にいかがは思ひおくれけむ 明石の浦にいさりせし君
(訳)尼になった私にどうして遅れたのでしょう
明石の浦に海人のように暮らしていた貴方が……
二条院におられる時にこの御文が届きましたので、今、朧月夜との仲が終わったとして、紫上にもそれをお見せになりまして、
折々によせて情緒を語り合える人が、遂に出家をしてしまわれた……と、寂しくお思いになりました。
出家のご準備にと、青鈍の尼衣を誂え、尼のお道具類などをも格別にお揃えになってお贈りになりました。
ずっと延期になっていた朱雀院の五十の御賀も、最近、女三宮がひどくお悩みのご様子で、再び延期になりました。
ご懐妊の月数が重なるにつれ、大層辛そうになさいますので、それをご心配なさいました朱雀院は、女三宮に何か不都合でも起きたのか……と、お見舞いの御文をお書きになりました。
源氏の君は、「姫宮の不義が父院のお耳に入るはずもありませんから、姫宮がお苦しみなのは、私の怠慢のせいだと思し召されるでしょう。
年老いた私を嫌とお思いでしょうが、父院のご存命中は我慢をしてください。
院のご寿命もそう長くはないのですから、今さら悪い噂をお聞かせして御心を乱すことのないように……来世の御成仏の妨げとなりましょう」とお話しなさいました。
姫宮も涙がこぼれて、悲しみに沈んでしまわれました。源氏の君は硯を引き寄せ、仰るとおりの言葉を姫宮に書かせて、父院にお返事をさせなさいました。
十二月になりました。朱雀院の御賀もこれ以上延期することはできないと、十日過ぎに催すことを決めましたので、御邸中がその準備に大騒ぎをしておりました。
源氏の君は、楽に優れた衛門の督が参加しないことを物足りなく感じられ、御前にお召しになりました。衛門の督は重病であるからとお断りなさいましたが、父大臣が強くお勧めになりましたので、苦しいながらも参上されました。
いつものように、お側近くに招き入れ、母屋の御簾は下ろしてお逢いになりました。衛門の督はひどく痩せ青白い顔をして、顔を上げることさえできずに控えておられました。
源氏の君は内心「姫宮との不義については、全く許すことは出来ない……」と大層お腹立ちでしたが、何事もなかったかのように平静を装って、
「院の御賀のため、わが子供たちに舞など習わせ始めたのだが、調子を合わせることは、貴方の他に誰にお願いできようか……」と仰いました。
衛門の督は大層嬉しく思うものの、内心では身の縮む思いがなさいました。
青ざめた様子で、「ここ幾月、病気に苦しんで臥せておりましたが、院の御賀には誰よりも深い敬意を表したいものです……」とお答え申しました。
御賀の試楽の日、東南の釣殿に続く廊を楽所に設えて、楽人三十人が「仙遊霞」という楽を奏しました。
雪が僅かに散らつき、梅の花が美しく咲いていました。
右の大殿の四郎の君、大将殿の三郎の君などは、まだとても幼いながら「万歳楽」を舞いました。
一族の子供達が「太平楽」「喜春楽」などを舞い、可愛らしい孫の君達の深い才能に、年老いた上達部たちは皆、感涙を落とされました。源氏の君も、
「年をとると酔い泣きは止められないものだ。衛門の督が老い(ヽヽ)を笑っているようだが、老いとは誰もが逃れられないものなのだよ……」と、
酔った振りをして皮肉を仰り、盃を繰り返し無理強いなさいました。
衛門の督は大層気分が悪くなられ、胸が痛くなって、遂には我慢できずに、まだ宴も終わらないうちにお帰りになりました。
そして……そのまま重い病に臥せてしまわれました。
朱雀院の御賀は二十五日に催されました。衛門の督のご容態を気遣って、皆が嘆いておられる頃でしたが、今まで次々と延期されてきましたので、強いて催されたのでございます。
( 終 )