謹訳 源氏物語 二 改訂新修 [ 林望 ] – 楽天ブックス
朱雀院はこの頃ずっとご病気がちでございました。
すっかり気弱になられて、出家したいという気持がなお一層強くなられ、その準備として西山に御寺を完成させなさいました。
この院の御子は、東宮のほかに女宮が四人おいでになりました。その中の女三宮(おんなさんのみや)には、これと言ったご後見がありませんので、院は不憫にお思いになり、格別に可愛がっておられました。
御年も十三歳ほどになられましたので、御裳着(もぎ)の儀式(成人式)をお考えになり、その将来を大層心配なさっておられました。
ある日、東宮が父院をお見舞いなさいました。大層ご立派に成人された東宮のご様子を、誠に頼もしくご覧になりました。
朱雀院は、「この世に不満に思うことは何もありません。ただ女三宮はまだ幼く、私一人を頼りとしてきましたので、
私が出家した後に心細い生活をするのだろうかと、誠に気がかりで悲しく思っております……」と、涙を拭いながら仰せになりました。
年が暮れていくにつれて、ご病気も一層重くなられ「やはり最期か……」とお思いになりました。その優しいお人柄ゆえ、皆は大層悲しんでおりました。
その年が暮れ、権中納言(夕霧)も,源氏の君の言葉を携えて、お見舞いにおいでになりました。院は御簾の中に招き入れて、親しくお話をなさいました。
「桐壺院がご臨終の折、多くのご遺言を残されましたのに、事の行き違いから六条の大殿(源氏の君)には辛い思いをおさせ申したにも拘わらず、
その恨みが残っているご様子さえもお見せにならず、東宮などにも親しくお仕え下さるのは、誠に有り難いことです……」と、涙ながらに仰せになりました。
権中納言は、「過ぎ去りました昔の事は、私には分かり難いことで、父君は辛い事をほのめかされることもありませんでした。
院が御退位なさって静かにお暮らしの今こそ、心置きなくお話を承りたいと存じながら、つい月日が過ぎてしまい……」と奏上なさる夕霧は、
二十歳にも足りない年齢ですのに、誠にご立派で輝くばかり美しくおられました。
院は女三宮の御後見として、この人こそとお考えになりましたが、夕霧は、
「まだ頼りにならない私には、妻も得難うございます」とお答えなさいました。
ある日、院は乳母(めのと)たちをお呼びになり、女三宮の御裳着(もぎ)の事などを細々と指示なさいました。その折に、
「六条院の大殿が昔、兵部卿(ひょうぶきょう)の娘(紫上)を育て上げたように、誰かこの姫宮を引き取って育てて下さる人がいないものか……
権中納言(夕霧)が将来有望なので、独身の頃に申し入れてみるべきだったのだが……」と申しなさいました。
乳母は、「確かに権中納言は真面目な方ですが、雲居の雁お一人だけを想い、他の女性に心を移すことさえありません。
実はその父・大殿こそが、今も女性にご関心をお持ちで、今でも前斎宮にお便りを差し上げていると聞いております」とお答え申し上げますと、
「その好色心が心配なのだ。……では親代わりとして、姫宮をお譲りすることにしよう。六条の大殿は信頼出来る人物で、この人をおいて後見役に適当な人はありません。
兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや)は同じ皇族なので軽んじるべきではないが、あまりにも頼りない。
衛門(えもん)の督(かみ)(太政大臣の息子)が、内親王でなければ妻にしない……と、自ら女三宮の後見を希望しているようだが、
まだ若くてあまりにも軽い地位である。理想は高く将来を期待できるが、やはり婿としては不十分であり……」等と、大層心悩ませておいでになりました。
権中納言もこの噂をお聞きになり、
「先日、院が直々に、私に意中をお漏らしになったことを思えば、心ときめく事であるけれど、これほど高貴な姫宮と結婚したなら、
左右に気遣って、自分も苦しい立場になることだろう。しかし他人のものに決るのも残念なことだ」とお思いでございました。
東宮はいろいろお考えになり、
「やはりあの六条の大殿にこそ、親代わりとして女三宮をお譲りするように……」と、御内意がありましたので、院はますます御決心を固めなさいました。
まずは弁を遣わし、その事情をお伝えなさいました。
源氏の君は、「院のご寿命を考えますとお気の毒とは存じますが、私とてどれほど長く生きられるものか……。姫宮のご後見をお引き受けすることに不安を覚えます。
今後は女三宮を格別にご養育申し上げ、やはり帝に差し上げるのがよろしいかと存じます……」とお答えなさいました。けれども御心の中では、
「女三宮の母は、あの藤壷の姉君だから、きっと美しい姫宮に違いない。これもまた何かの深い御縁か……」と感慨深くおられました。
やがて年も暮れました。朱雀院には快方に向かうご様子も見えませんので、慌ただしく女三宮の御裳着の儀式をなさいました。
院の御催事もこれが最後かと、帝も東宮も大層お気遣いなさいまして、豪華に光り眩しい程に、蔵人所や納殿の舶来品などを献上させなさいました。
六条院からも御祝儀などが盛大にありました。
中宮は、昔、斎宮として伊勢に下る儀式の時に、院から御櫛を頂戴し、好意をお寄せ頂いたことを思い出し、特別に見事な御櫛を作らせて、姫宮にお贈りなさいました。
さしつぎに見るものにもが万世を 黄楊の小櫛の神さぶるまで (朱雀院)
(訳)挿し続けて姫宮の万世を見たいものです。黄楊の小櫛が古くなるまで……
御裳着の儀式が終わり三日ほどが過ぎて、朱雀院は遂に御髪を下ろされました。
御后方は大層悲しまれ、特に尚侍(かん)の君(朧月夜)はお側を離れずに涙を流しておられました。
「この悲しい別れが耐え難いことよ……」と、院はご決心が鈍ってしまいそうでしたが、大層苦しそうなご様子のまま、この俗世と別れる儀式を済ませなさいました。
六条の大殿がお見舞いに参上なさいました。朱雀院はご気分が悪いのを我慢なさってお逢いになり、大層弱々しく、
「出家しても余生がなければ、勤行の意志も果たせそうにありませんが、せめて念仏だけでも勤めたいと思っております。ただ内親王たちを残していくことが気がかりで、特に後見のない女三宮を……」と仰せになりました。
源氏の君は、「誠に内親王の御ためには、ご後見に当たる者はやはり、夫婦の契りを交わしてお世話申し上げるのが安心なことでございます。」と奏上なさいました。
院は、「この俗世を離れる時になって、捨て去りがたい事が誠に多く……病気は日々重くなってゆきます。
恐縮なお譲り事なのですが、この幼い内親王一人を特別に目をかけお育て下さって、適当な婿をも貴方のお考え通りにお決め下さい。
権中納言(夕霧)が独身でいた頃に、お願いすべきであった……」と申されました。
源氏の君は恐縮して、「権中納言は何分にもまだ経験が浅く、頼りなく思われます。
……畏れ多いことですが、私が真心を尽くしてご後見させていただきましょう。
ただ老い先短いことが懸念されますが……」と、遂に後見をお引き受けなさいました。
夜が更けて源氏の君はお帰りになりましたが、院は今夜の冷たい雪にお風邪を召され、一層苦しそうになられました。
けれどもこの女三宮のご将来をお決めになりましたので、やっとご安心なさったのでございました。
六条院に戻られた源氏の君は、誠に気が重く、思い悩んでおられました。
紫上のお気持を思うととても辛くなられ、「院が大層お弱りになりお見舞いに参上しますと、胸打たれる思いがいたしました。
院は、この私に女三宮の後見役をお頼みになり、悲しみ深い親心を語り続けられましたので、すげなくご辞退申し上げることができませんでした。
やがて六条院にこの姫宮をお迎えすることになりましょう。
……貴女には誠に不愉快なことでしょうが、皆で穏やかに、姫宮をお世話申し上げましょう……」とお話しなさいました。
紫上は、
「誠にお気の毒なご依頼で……。私をお咎めでなければ、このままここに居させていただきましょう。
御母女御(藤壷の姉)の御縁から言っても、仲良くしていただけるでしょうから……」と謙遜なさいました。
紫上は表面上とても穏やかに振る舞っておいでになりましたが、御心の内ではご将来のことなどを憂い、心乱れておられました。
年が改まり、源氏の君は四十の御賀を迎えられます。
朝廷でも祝宴が盛大に催されると評判でしたけれど、源氏の君は厳めしい儀式など嫌いなご性格ですので、これを辞退なさいました。
正月子(ね)の日に、左大将の北の方(玉鬘)が若菜を献上されました。内密に準備なさいましたので、辞退もなされず、内々の御賀でありながら、大層格別に催されました。
小松原すえの齢に引かれとや 野辺の若菜も年を積むべき
(訳)小松原の将来のある齢に引かれ 野辺の若菜も長生きするでしょう
御盃が下され、若菜の羮(あつもの)(吸物)を召し上がりました。太政大臣が管楽器などを揃えましたので、内輪の管弦の遊びながら、この上なく素晴らしいものになりました。
如月十日過ぎ、遂に朱雀院の姫宮(女三宮)が六条院の源氏の君のもとに降嫁なさいました。こちらの院ではその準備に心尽くされ、
南殿の西対や渡殿にかけて念入りに飾らせなさいまして、御結婚の儀式はこの上なく盛大に行われました。
紫上は何事にも平静を装って、お輿入れの時にも細々とお世話なさいますので、源氏の君はますます得難い方だといとおしくお思いになりました。
なるほど、この姫宮はまだとても子供で、ただあどけないご様子でした。
源氏の君は昔、あの紫のゆかりの少女(若紫)を北山で見つけた時の事を思い出されて、ただ幼いだけの姫宮を「何と張り合いのないことか……」とご覧になりました。
三日間は毎晩、姫宮のところにお通いになる慣わしですのに、紫上が君のお召物に香を焚きしめながら、物思いに沈んでおられる様子を大層いじらしい……とご覧になって、
「どんな事情があるにせよ、他に妻を迎える必要があったのだろうか……」とご自分が情けなく、遂には涙ぐんでしまわれました。
命こそ絶ゆとも絶えめ定めなき 世の常ならぬ仲の契りを
(訳)命は絶えることがあっても、決して変ることのない二人の仲の契りよ……
優美なお姿でお出かけになられる源氏の君を、紫上は穏やかにお見送りなさいました。
けれども内心は、将来を不安にお思いになり、夜が更けるまで起きておられました。
女房たちがいろいろ悪口を言いますので、紫上は、
「あの方には女性が大勢おいでになりますのに、華やかな身分の高い方がお側にいないのを物足りなくお思いでした。
今こうして内親王がお輿入れなさったのは、誠に結構なことでございましょう……」と仰いました。
昔、源氏の君が須磨に去られて、独り寝の寂しい夜を過ごした日々を思い出して、「あの頃は、例え遠く離れても、同じこの世に生きていられれば……と言い聞かせていました。
今はご一緒にいられることだけでも幸せと思わなければ……」と思い直しなさいました。風が吹いて夜が冷たく感じられ、しみじみ哀れを感じさせるようでした。
その夜、源氏の君の御夢の中に紫上が現れましたので、ふと目を覚まされました。何か胸騒ぎがしましたので、夜も明けぬうちに急いでお戻りになりました。
雪明かりで辺りがほんのりとしていました。御格子戸を叩きましたのに、女房たちはわざと空寝して、ややお待たせしてから中にお入れしました。
御身がすっかり冷えたまま、紫上の部屋の御衾を引き開けなさいますと、紫上は涙に濡れた単衣の袖を引き隠し素直で優しい素振りをなさいました。
源氏の君はしみじみ愛しくお思いになりました。
今朝はこちらでお目覚めになり、
女三宮には御文をお届けになりました。
姫宮からのお返事には、
儚(はかな)くて 上の空にぞ消えぬべき 風の漂う春の淡雪
(訳)貴方がいないと、うわの空で、儚く消える春の淡雪のようです……
その筆跡はあまりにも幼稚ですので、源氏の君は、
「軽々しく他人に見せられない。まぁ、可愛らしいとするか……」とご覧になりました。
朱雀院は女御たちと 悲しいお別れをなさいまして、その月のうちに西山の御寺にお移りになりました。
尚侍(ないしのかみ)(朧月夜)は尼になろうとお考えでしたが、院は、
「競って出家をするのはやめるように……」と説得をなさいました。
源氏の君にとって、この朧月夜は愛しいまま別れた忘れがたい姫君ですので、院が出家された今こそ、もう一度お逢いして御心の内をお伝えしたいとお思いでした。
紫上には「常陸(ひたち)の宮が患っているようなので、お見舞いに参ります」と嘘をつきなさいました。紫上は妙だ……とお思いになりましたが、女三宮が六条院においでになって以来、少し隔て心がついたのでしょうか。
ただ素知らぬ振りをなさいました。
宵が過ぎるのを待って、粗末な網代車で忍んでお出かけになりました。朧月夜は源氏の君のお渡りに大層驚かれましたが、
熱い想いを一途に訴えなさいますので、いつまでも強い気持でもいられず、遂にはお逢いになりました。
廂の間にお入りになりますと、御襖は固く錠めてありました。源氏の君は、
「この隔てをこのままでいられようか……」と御襖を引き動かし、
年月を中に隔てて逢坂の さも堰き難く落つる涙か (源氏の君)
(訳)長い年月を経てやっとお逢いできたのに、この隔てには涙が落ちます
涙のみ堰き止め難き清水にて ゆき逢う道は早く絶えにき (朧月夜)
(訳)涙が堰き止めがたい清水のように流れます。逢瀬の道は
昔に絶えてしまいましたのに…
朧月夜はご自分のせいで源氏の君が須磨に流され、世間の非難を受けた事を思い出しますと、すっかり気弱になられ、いつまでも拒むこともできずに……
姫君は昔のままに若々しく、とても魅力的でした。深く想い乱れるご様子に、源氏の君は初めて逢った時よりも、強く心奪われてしまいました。
「昔、藤の宴でお逢いしたのは、たしか今頃だった。あれからどれほど長い年月が過ぎたことか……」と、妻戸を押し開けますと、外には見事な藤の花が咲いていました。
「美しい……この花影をどうして離れることができようか……」とお帰りを躊躇って、咲き匂っている藤の花を一枝折らせて、
沈みしも忘れぬものをこりずまに 身を投げつべき 宿の藤池
(訳)沈んでいた須磨も忘れないが、また懲りもせず、この家の藤の咲く淵に身を投げてしまいたいものです……
朧月夜の姫君にとっても、藤の花は慕わしく思われるのでしょう。
今はすっかり心許して、またの逢瀬をお約束なさいましたので、源氏の君はようやくご退出なさいました。
源氏の君は大層忍んで六条院にお帰りになりました。その寝乱れた髪をご覧になり、紫上はすっかりお分かりになりましたのに、ただ気づかぬ振りをなさいました。
源氏の君はその心遣いを、いじらしくお思いになりましたが
、紫の上が、「昔の恋を、今さら蒸し返しなさいますとは……」と涙ぐんでしまわれましたので、大層いとおしくなれ、永遠に変わらぬ二人の愛を誓って、心深くお慰めなさいました。
夏になりました。東宮の女御(明石の姫君)はご気分がすぐれず、どうやらご懐妊のご様子です。
帝からようやく御暇が許されましたので、六条院にご退出なさいました。
寝殿の東側にお部屋を設けてお入りになりました。
明石の上がお側に付き添って、六条院で娘のお世話をなさるお姿は、誠に理想的な運勢に見えました。
この女御は、実の母君よりも親しい方として、紫上を頼りになさっていましたので、紫上も細々とお世話をなさいました。
紫上が、「女御にお逢いするついでに、姫宮(女三宮)にもご挨拶申し上げましょう。お近づきになれましたら、私も気が晴れるでしょうから……」と申しなさいますと、
源氏の君は、「それこそ望みどおりのお付き合いというもの。お二人が仲良くお暮らしになってほしいものです……」とお応えになりました。
紫上は姫宮にお逢いになりました。ただ子供っぽいばかりに見えますので、母親のように優しくお話しなさいました。
姫宮のお気に召すようにと、お人形遊びの事などを申し上げますと、姫宮も「本当に優しく美しい方……」と子供心にすっかり打ち解けなさいました。
世間でも「これからは、紫上へのご寵愛も少しは劣るだろう……」と噂しておりましたが、今までよりも一層深い愛情が勝る様子でございました。
紫上は気品があり、全てに立派にお心遣いをなさいまして、長い年月連れ添った今も、眩いほどの美しさと優雅さとを備え持っておられます。
この頃、何か哀しそうなご様子が漏れ見えますのに、何事もないような素振りをなさいますので、源氏の君は、
「何と素晴らしい方か……」と愛しく思わずにいられませんでした。
それなのに……今夜は、あの忍びの逢瀬に、実にどうしようもなくお出かけになりました。誠にけしからぬ事と反省なさりながら、朧月夜を想う御心は、どうすることもできないようでした。
神無月になり、源氏の君の四十歳の御賀のため、紫上は嵯峨野の御堂で薬師仏のご供養をなさいました。二十三日を御精進落としの日と定め、二条院でその宴が催されました。
源氏の君は盛大になることを禁じなさいましたが、それでも御殿や調度品などが見事に設えられました。
寝殿には螺鈿の椅子がおかれ、東西の対に殿上人などの饗宴の席が設けられました。
御殿の西の間にご衣装の机が並べられ、夏冬の御衣装や夜具などが置かれ、紫の綾織の覆いが掛けてありました。
御前に置物の見事な机が二脚、背後の御屏風には美しい四季の絵が描かれておりました。
御方々も然るべき事を分担して、進んでお仕えなさいまして、誠に豪華な素晴らしい祝宴となりました。
日が暮れる頃、舞楽が奏され「万歳楽」が舞われました。舞い終わる頃に権中納言(夕霧)と衛門の督(太政大臣の息子)が庭に下りて、美しい紅葉の蔭で「入綾」を舞われました。
源氏の君は、昔、朱雀院の行幸で頭中将(とうのちゅうじょう)と舞った「青海波(せいがいは)」を思い出されて、
今なお、その息子同士が、負けずに後を継いで競っておられる様子に、
「昔から並び合う両家の間柄なのだ……」と感慨深くおられました。
夜になり、管弦の遊びが始まりました。朱雀院がお譲りになった琵琶や、帝からの箏の琴など、昔を思わせる音色のままに合奏をなさいますと、しみじみと思い返されることが多くございました。
源氏の君は、「亡き藤壷の宮が生きておられましたら……」と悲しくお思いになり、帝も母宮がおられないことを、しみじみ心淋しくお思いでございました。
年が改まり、東宮の女御(明石の姫君)の出産が近づきましたので、御修法(みずほう)(祈祷)を絶え間なくさせなさいました。
源氏の君は、昔、葵の上のご出産の折に、不吉な体験をなさいましたので、この女御が小さいお年頃であることを、大層心配なさいました。
あの大尼君(明石入道の妻)は、このご出産を喜び、度々参上なさいまして、源氏の君が明石の浦においでになった頃の様子や、
都へ戻られた後に姫君がお生まれになった幸運などを、涙ながらにお聞かせ申し上げました。
東宮の女御は、
「私は栄華を極めるような身分ではないのに、紫上の御陰でここまで立派に育てられたのか……」と今はすっかりお分かりになり、袖を濡らしなさいました。
三月の十日過ぎ、無事に男御子(みこ)がお生まれになりました。特にお苦しみになることもなく、望み通りの男御子のご誕生に源氏の君も大層お喜びになりました。
紫上が白い装束をお召しになって、まるで母親のように若宮をお抱きになるご様子は、眩いほどに素晴らしいものでした。
七日の夜、内裏で御産養の儀式が、この世に例のないほど、盛大に優雅に催されたのでございました。
一方、明石の浦では、入道がこの話を伝え聞いて、大層喜びなさいまして、
「今はこの世から心安らかな気持ちで、離れていくことができよう……」と、
人跡絶えた山奥に入ることをお決めになりました。最後に心情を書き綴り、明石の上にお送りになりました。
(入道の手紙)
人伝てに承りますと、姫君は東宮に入内(じゅだい)なさいまして男宮ご誕生とのこと、心から お喜び申し上げます。
私自身、取るに足らない山伏の身で、今更この世で栄華を願ってはおりませんが、ただ六時の勤行には貴女の幸福だけを祈ってまいりました。
貴女が生まれる年の二月の夜、夢に、『自分が捧げ持つ須弥山の左右から、月と日の光が同時にさし出して、世を照らしました。自分は小舟に乗り、西の方へ漕いでいく……』と見ました。
夢から覚めて、力及ばぬ身に思案余って、田舎に下り明石の浦に長くおりましたが、ずっと貴女に期待をかけておりました。
国母となり御願が叶いましたなら、住吉の御社にお参りをなさい。
今は阿弥陀の来迎を待って、私は勤行のため奥山に入山いたします。
例え私の寿命が尽きるとも、決して心配なさいますな。
極楽に行き着けましたなら、きっと再びお逢いできましょう。
(住吉の御社に立てた願文を文箱に入れ、これに添えてありました)
明石入道は、長年の勤行の間に掻き鳴らした御琴や琵琶を少しお弾きになってから、御仏にお別れを申されまして、遥かな山の雲霞の中に入られたのでございました。
明石の上は灯火を引き寄せて、この手紙をご覧になり涙を流されました。
父入道に、このまま二度と逢えずに終わってしまうのか……と、胸が潰れる思いがなさいました。
「偏屈者で、私を不幸にしたと恨んだこともありましたが、高い理想をお持ちだったのか……」と、今やっとお分かりになったようです。
更に、尼君へのお手紙には、
「草の庵を出て深山に入ります。この身は熊や狼に施しましょう。貴女は望みどおりの御代になるのを見届けなさい。極楽浄土でまた逢えましょう 」とありました。
尼君は涙を抑えて、「貴方の御陰で身に余る幸運をいただきました。再び逢うことなく、一生の別れとなってしまったのが何よりも悲しい……」と、
一晩中お二人はしみじみ語り合って、夜を明かしなさいました。
翌日、明石の上は東宮の女御の御前に参上なさって、父入道の文箱の事をお聞かせ申し上げました。
「この願文はお側にお置きになって、然るべき機会に、住吉に参詣して御願をお果たし下さいますように……。私など遠慮されるべき身分ゆえ、
こうまでして頂けるとは思いませんでしたが、紫上の御心深いご親切のもとに、
今では将来も安心できる気持でおります」と申し上げますと、女御は大層感動なさって、涙ぐんで聞いておられました。
源氏の君がおいでになりました。先程の文箱がそのままに置かれていましたので、
「何の箱ですか」とお尋ねになりました。明石の上は、
「明石の岩屋から内々に祈祷した巻々でございます。まだ願解きをしてないのがございましたのを、大殿にもご覧頂いた方がよいかと入道が送ってきたのですが、今は開けることもないでしょう」と申し上げますと、
源氏の君は、「長年の勤行でどれほどの功徳を積み重ねなさったことだろう。是非逢いたいものだが……」と仰いました。
「今は鳥の声さえ聞こえない奥山に入ったと聞いております」
「ではその遺言なのですね……尼君にはどんなに悲しみの深い事でしょう」と涙ぐみなさいました。
更に、「貴女は今は少し道理がお分かりになったのですから、紫上のご好意をいい加減に思いなさいますな。血の繋がらない他人に情をかけ、深い好意をよせてくれるのは、
並大抵のことではありません。お二人で心合わせて、この姫君のご後見をなさって下さい」と仰せになりまして、対の屋へお渡りになりました。
夕霧は姫宮(女三宮)のことがとても気になっておりました。
六条院に御用のある時には自ら参上して、そのご様子を伺いなさいました。
姫宮は大層幼く、一日中子供じみた遊びや戯れ事に熱中のご様子でしたが、源氏の君は大目に見て、叱る等はなさいませんでした。
ただ将来を考えて、その態度や振舞いだけは、充分にお教えになりました。
衛門(えもん)の督(かみ)(太政大臣の息子)は、院が大切になさったこの姫宮が、こうして源氏の君にご降嫁なさいましたことを、
とても残念に思われ、「源氏の君がいつの日か出家なさった折には……私が……」と今も諦めきれないまま、姫宮を想い続けておりました。
三月、空が麗らかに晴れた日、大殿は所在なくおられましたので、丑寅の町で蹴鞠(けまり)を楽しんでおられた夕霧を呼び寄せなさいました。兵部卿宮や衛門の督などもご一緒に参上なさいました。
桜が舞い散る木陰で、蹴鞠に興じる若い公達のお姿が楽しげで美しく見えますので、女房たちも御簾の蔭に集まって来ました。
その時、小さな可愛い唐猫が急に御簾の端から飛び出しました。猫につけた綱がひっかかり、逃げようと引っ張るうちに、御簾の端が引き開けられました。
少し奥まった所に、紅梅襲(こうばいがさね)の袿(うちぎ)姿で立っていらっしゃる姫宮のお姿が見えました。
衛門の督はもう胸がいっぱいになり、その愛らしいお姿が心に焼きついて忘れられなくなりました。
蹴鞠の後、皆は酒宴をなさいましたが、衛門の督はただぼんやりしておりました。
思いがけず御簾の隙間から見えた姫宮の姿を思い出し、お側に近づき難い身分の差を思い知らされ、ただ胸塞がる思いがして、
「どうしたらこの熱い想いを、姫宮にお知らせできようか……」と、小侍従(こじじゅう)(女房)のもとに手紙をおやりになりました。
よそに見て 折らぬ嘆きはしげれども 名残り恋しき花の夕影
(訳)よそから見るだけで、手折ることのできない悲しみは深いけれど、
夕影に見た花の美しさは、今も恋しく想われます
小侍従は先日の出来事を知りませんので、ただの恋患いだろうと、他の女房たちがいない時に、この手紙を姫宮にお見せしました。
姫宮は、「あの時、御簾の端にいた不注意を、源氏の君に知られたら、どんなにお叱りになるだろう……」とお思いになり、
若い公達にお姿を見られてしまったことが一大事とは、少しも思っていない……何とも幼いご様子でした。
小侍従はこっそりと返事を書きました。
今更に 色にないでそ山桜 およばぬ枝に心かけきと
(訳)今更、お顔の色に出しなさいますな。手の届かない桜の枝に、
想いを寄せるのは無駄なこと……
( 終 )