紫式部 源氏物語 薄 雲(うすぐも)ー第十九帖

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すらすら読める源氏物語(下) (講談社文庫) [ 瀬戸内 寂聴 ] - 楽天ブックス
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冬になるにつれ、大堰川の情景はますます侘びしさが増し、明石の君は心細く暮らしておられました。

源氏の君はこれを見かねて、二条院に移るように繰り返しお勧めになりましたけれど、明石の君は躊躇(ためら)っておられました。

「それなら幼い姫君だけでも……。将来入内して立后を考えていますので、このままでは畏れ多いことです。対の御方(紫上)も逢いたがっておられますので、

暫く馴れさせて、御袴着(女性の成人式)もきちんと行いたいと思います……」などと、真面目に説得なさいました。

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けれども明石の君は、
「今になって高貴な人として大切に扱われようとも、山里の出身と人が漏れ聞くことは、繕い難いことでございます。

源氏の君はお人柄も優れ、頼りになる方でおられますから、数にも入れぬわが身はともかく、先の長い姫君のご将来も、君の御心一つにかかるものならば、

いっそ物心つかぬうちにお譲り申し上げようか……。でも姫を手放した後に、この私はどう暮らしたらよいのでしょう……」等と、悲しく思い乱れなさいました。

そして遂に「姫君の御ため……」と、別れを決心なさったのでございます。

雪の降る日が多くなり、この雪が少しとけた頃に、源氏の君が姫君を迎えにお渡りになりました。

姫君はとても可愛らしく、この春から伸ばした髪がゆらゆら揺れて、目元の美しさは、疎かには思えない宿世を感じさせるようでした。

母親の御心を思いやりますと、大層お気の毒に思えますので、源氏の君は繰り返し心深くお慰めなさいました。

母君が抱いて、御車のところに出ておいでになりました。

姫君は無邪気に母君のお袖をとらえて、愛らしい片言で「お母様もお乗りなさいませ」とお誘いになりました。

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末遠き二葉の松に引き別れ いつか木高きかげを見るべき (明石の君)

(訳)幼い姫君とお別れしていつ成長したお姿を見ることができるのでしょう

明石の君は耐えられず大層お泣きになりますので、

生ひそめし根も深ければ武隈の 松に小松の千代をならべむ (源氏の君)

(訳)生まれてきた縁も深いのですから、必ずご一緒に末長く暮らせるようになりましょう……

道すがら、後に残された母君の悲しみを思いやりなさいまして、
「どんなに辛くいらっしゃるだろう。私は何と罪深いことをしたのだろうか……」と涙を拭われました。

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すっかり暗くなってから、御車は二条院に着きました。姫君は道中ずっと眠っていましたが、御車から抱き下ろされても、泣いたりなどなさいません。

紫上のお部屋でお菓子を召し上がっていらっしゃいましたが、ようやく母君のいないことに気づき、愛くるしいご様子で不安な表情をなさいますので、源氏の君は乳母(めのと)をお呼びになり、なだめさせなさいました。

大堰に残された明石の君の悲しみを思うと心苦しくなられましたが、明け暮れ、紫上と共に愛らしい姫君をお世話申し上げるのは、誠に幸福に満ち溢れた心地がなさいました。

御袴着の儀式は心尽くして行われました。大堰では明石の君が姫君を尽きせず恋しく思われ、尼君もすっかり涙もろくなられました。

けれども姫君が二条院で大切にご養育されているという噂を聞きますのは、嬉しいことでございました。

源氏の君は川辺のお住まいに御文などを絶え間なくお遣わしなさいました。

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その頃、太政大臣(葵の父)が亡くなりました。国家の重石にあった人ですので、若き帝は大層お嘆きになり、源氏の君も尽きることなく遺憾にお思いになりました。

その年は天変地異があり、凶事と思われる事が頻繁に起こりましたが、源氏の君には心当たりとなる秘事があったのでございます。

藤壷入道の宮が春の初め頃から病みがちになられ、三月にはご重態になられましたので、帝は大層悲しくおられました。藤壷への想いは今も限りなく、

宮が、「今年は逃れることの出来ない年回り(厄年)ですが、功徳のことは特にいたしませんでした……」と弱々しく仰いますので、

源氏の君はご祈祷などを心尽くしてさせなさいました。枕元の御簾近くにお寄りになりますと、「故院のご遺言のとおり、若い帝をこれからもご後見頂くことに感謝を申し上げたい思っておりました。

今はただ悲しく……よろずに心乱れて、この命も残り少ないように思われます……」と弱々しいお声が微かに聞こえてきますので、源氏の君は大層お泣きになりました。

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しかし灯火(ともしび)が消え入るようにして、はかなく藤壷はお亡くなりになりました。

源氏の君は念誦堂(ねんずどう)に引き篭もり、一日中泣き暮らしなさいました。

入り陽さす峰にたなびく薄雲は もの想う袖に色やまがへる

(訳)入日がさす峰にたなびいている薄雲は、悲しんでいる喪服の袖の色に似ている……

この藤壺入道の宮は高貴なご身分にも拘わらず、世のために慈悲深い心をお持ちで、功徳なども大袈裟なことはなさらずに、

ただ真心のこもった御供養を心深くなさいますので、ご葬送には世の中が悲しみに沈んでしまいました。

御法事なども終わりました。諸々のことが静かになり、帝は大層心細くお思いでした。

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ある静かな夜明け、昔の御世から代々お勤めしている尊い僧都が、帝の御前で、
「申し上げ難いことですが、帝がこの事実をご存知ないことは、罪に当たろうかと憚られ、天眼恐ろしく思われます。

このまま命尽きれば、何の益がございましょう。

実は、故藤壷中宮は 帝をご懐妊された頃から深くお嘆きになり、祈祷をするよう仰せつけになりました。その祈祷の内容とは…………。

それが恐ろしいことでございます。天変地異が頻繁に起こり、世の中が鎮まらないのは、このためなのです。

帝が幼いころは分別もなくよかったのですか、今御歳が加わり、道理が分かようになられましたので、神仏が咎をお示しになるのでございます……」と申し上げました。

やがて夜が明けてきましたので、僧都は退出いたしました。

帝は今までこれほど驚くべき事を聞いたことがなく、恐ろしさと悲しみに御心が大層乱れなさいました。

源氏の君が実は父親でありながら、臣下として朝廷に仕えておられる理由を今初めて知らされ、哀れで畏れ多いこと……とお悩みになりました。

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その日、式部卿も亡くなられ、ますます世の中が騒がしいことを、帝はお嘆きになりました。若い帝を大層ご心配なさって、源氏の君はずっと側にお仕えなさいました。

帝は、「わが世は終わってしまうのか……もう譲位して心穏やかに過ごしたい……」と訴えなさいました。

そのご様子がいつもと違っている……とお気づきになりましたが、まさか秘事の全てをお聞きになったとは、思いもよりませんでした。

秋になり、前斎宮の女御(御息所の娘)が二条院に退出なさいました。源氏の君は今もこの女御に想いを寄せておられましたが、気持を抑えて、

故御息所のご遺言どおり、親代わりとしてご後見をなさいました。

秋雨の降る日、斎宮のところにお渡りになりました。深い鈍色の喪服をお召しになり数珠を袖に隠して、前栽の花を眺めながら柱に寄り掛かっておられるお姿は、

誠に素晴らしく見えました。御几帳だけを隔てて過ぎ去った昔話などをなさいました。

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「こうして須磨から戻り復権しましたが、私には心静め難いものがございます。その心を抑えて、貴女の後見をしている辛さをお分かりいただけるでしょうか……」

女御はお返事なさいません。かすかな気配に心惹かれ、さらに続けて、
「私は四季折々の風情に寄せて、心満たされる遊びをしたいと願っています。

貴女は春と秋のどちらがお好みでしょうか」とお尋ねになりました。女御は、
「……中でも秋の夕べこそ……、儚く亡くなりました母が思い出されますので…」と、お答えなさいました。

そのお姿がとても愛らしいので、今こそ少し道に外れたこともできましたが、女御が嫌がっておられるようなので、諦めて退出なさいました。

源氏の君の残り香までをも、斎宮は不愉快にお思いになりました。

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源氏の君は明石の君のことを思いやり、大堰の山荘にお渡りになりました。

辺りは大層寂しげな趣きでした。明石での辛かった御契りも、決して浅くなかったことを思い、源氏の君は心の限りを尽くしてお慰めになりました。

繁った木々の間から漏れる篝火(かがりび)が、ちらちら揺れて大層美しいので、明石の浦を思い出して、漁りせし影忘られぬ篝火は 身の浮舟や慕ひ来にけむ (明石の君)

(訳)あの明石の浦の漁り火を思い出させる篝火は
浮舟のような頼りないわが身を慕って、やって来たのでしょうか

今宵はいつもより長くご一緒にお過ごしになりましたので、明石の君の御心も紛れるようでございました。

( 終 )

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