源氏物語 巻二 (講談社文庫) [ 瀬戸内 寂聴 ] – 楽天ブックス
夏の暑い日に、源氏の君は東の釣殿(つりどの)にて涼んでおられました。
夕霧が来ていましたので、公達や内大臣のご子息たちも参上なさいました。
西川から献上された鮎などを御前で調理などして、お酒を召し上がって賑やかに過ごされました。
西日になる頃、蝉の声もまだ暑苦しく聞こえます。
「こんな暑い時には、管弦などもする気にもなれないので、眠気の覚めるような世間話でも聞かせて下さい。
最近、内大臣が外で産ませた娘を迎えたそうだが……」とお尋ねになりますと、
弁少将が、「はい。今年の春、ある女が娘だと名乗り出まして……事情はよく分かりません」と応えました。
源氏の君は、
「御子たちが多いのに、列から離れた雁を捜すこともなかろうに……」と微笑まれ、「せめてその女でも拾ったらどうかな。雲居の雁の妹なのだから……」と、夕霧をからかいなさいました。
夕方になり吹く風が涼しくなりましたので、源氏の君は玉鬘のところにお渡りになりました。
お庭には撫子(なでしこ)が美しく咲き乱れていました。ご一緒に少将や侍従たちも参上しましたが、中でも夕霧は際立って優雅なお姿でございました。
「内大臣は夕霧をお嫌いのようで困ったものです。幼い者同士が想い合っているのに、長い間、仲を裂いておられるとは……」と仰いますので、
玉鬘は、源氏の君と内大臣が昔から隔てのある間柄だと聞くにつけても「父君に娘と知って頂くのは難しいことか……」と胸が詰まる思いがなさいました。
月のない頃なので、灯籠に灯をいれましたが、暑苦しいと篝火に代えさせました。源氏の君は和琴を引き寄せ、少しお弾きになりました。
「秋の夜長には、特に趣のある楽器です。現在その音色は、内大臣に勝る者はおりません」と話されますと、玉鬘は「管弦の遊びの折にでも、聞くことができましょうか……」と熱心にお尋ねになりました。
「何とかして内大臣にもこの美しい撫子の花をお見せしたいものだが、母君(夕顔)の行方などをお尋ねになるだろうし……それが煩わしい……」と仰せになりますので、
「山里の卑しい垣根に咲く撫子のような私の母の事など、お尋ねになるものでしょうか……」と謙遜なさいました。
そのご様子が大層優しく愛らしい感じがしますので、君の想いは募るばかりでしたが、自分の軽々しい御心を反省し「限りなく愛していると言っても、紫上への愛情に並ぶほどではない……」と思い直しました。
けれども、度々こちらにお越しになりまして、御琴をお教えすることを口実に、常に寄り添っていらっしゃいました。
姫君も始めは嫌だとお思いでしたが、今はだんだんと慣れて、ひどく嫌う素振りなどはなさいませんでした。
内大臣はこの玉鬘の噂をお聞きになり、
「まさか源氏の実の姫君ではあるまい。何を企んでいることか……いずれ兵部卿宮がご自分のものになさるだろう。それにしても、
わが姫(雲居の雁)のことは本当に残念なことだ。夕霧との仲を引き離すことで、ただやきもきさせたかっただけなのだが……。
源氏の大臣が丁重にお頼みなさるなら、二人の仲を認めてやってもよいのだが……」とお考えでした。
けれども夕霧ご自身は、一向に焦る素振りもなさいませんので、それも内大臣には面白くないようでした。
噂のとおり、内大臣は手元に引取った近江の君を手こずっておられました。
「どうしたらよいものか……、娘として迎えたのだから、世間の評判が悪いからと、送り返すこともできないし……」と思い悩まれ、仕方なく、弘徽殿の女御に仕えさせて、その老女房たちに礼儀作法などを厳しく教えさせることになさいました。
ある日、近江の君をお訪ねになりますと、女房たちと双六をしていました。
器量は親しみやすいのですが、その振る舞いが軽薄で、早口なのが大層気に障ります。
内大臣は「親に孝行する気があるなら、まずその早口を直しなさい」と苦笑されました。
内大臣が帰られます折、そのお姿が堂々として威厳がありますので、
「何とご立派なお父様、あの方の子供でありながら、貧しい家で育ったとは……」と、思っておりました。
(終)