紫式部 源氏物語 竹 河(たけかわ)ー第四十四帖

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これは関白太政大臣(もと鬚黒大将)の家の物語。 源氏の君が亡くなられた後は、世の有様がすっかり変わってしまいました。

六条院では、尚侍(ないしのかみ)(玉鬘)のご相続につ
いても、源氏の君の娘分としてお扱いになりましたので、今は大層優雅にお暮らしでございました。

玉鬘のお生みになった御子は男三人、女二人。大切にお育てになっておられますうちに、鬚黒の大将はあっけなく亡くなられました。

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男君たちは元服なさり、自然と出世していくようですが、姫君たちをどのようにお世話申し上げようかと、玉鬘は心を悩ませておられました。

今上帝は姫君に入内の申し入れをなさいましたが、すでに明石の中宮がお側におられますので、末席に入内しても気苦労であろうと入内を躊躇(ためら)っておられました。

冷泉院も、昔、玉鬘がご意向を無視して鬚黒大将に嫁がれました事を恨めしく思い出され、入内を強く申し入れなさいましたが、やはり決心しかねておられました。

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二人の姫君は大層美しいと評判で、大勢の男達が想いを寄せておりました。中でも右の大殿(夕霧)のご子息・蔵人少将(くろうどのしょうしょう)はとても熱心に求婚しておりました。

薫君はその頃十四、五才で、四位侍従になられ、人より優れた将来性がはっきり見えますので、玉鬘は娘の婿としてお世話申し上げたいと思っておいでになりました。

玉鬘の御邸は三条宮の近くにありますので、他の公達と一緒に時々お見えになりました。親しみやすく控えめで、好色なところが少しもなく、優美なお姿ではこれに勝る方はありませんでした。

正月朔日、玉鬘邸には若い男達が大勢年賀に訪れました。中でも薫君は際立って素晴らしく、女房達は「この方こそ姫君のお側に……」と願っておりました。

ある日あまりにも生真面目なご性格を、女房がからかいますと、薫君は奥ゆかしくお戯れなさいました。庭先の梅が頼りない蕾をつけていますので、

よそにては もぎ木なりとや定むらん 下に匂える梅の初花

(訳)傍目には枯木と見えましょうが、心の中は咲き匂っている梅の初花ですよ

梅の花盛りの頃に、薫君は再び玉鬘邸を訪れました。

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中門の所に蔵人少将が立っていました。寝殿の西面から琵琶や琴の音がするので、心ときめかして来たようです。

連れだって中に入り、西の渡殿の紅梅の辺りで「梅枝」を口ずさみますと、花よりも美しい香りが辺りに薫りました。

御簾の内から和琴が差し出されましたので、侍従の謡う「竹河」に合わせて、薫君がお弾きになりますと、その音は美しく響き渡り、

玉鬘には昔が偲ばれて、思わず涙を落されました。

御簾の内から盃をお勧めしますと、
「酔うと、心に秘めた想いを隠しておくことができません……」と、逃げてしまわれました。

翌朝になって薫君からお手紙がありました。仮名がちに大層美しく、

竹河の橋うちいでし一節に 深き心の底は知りきや

(訳)「竹河」の歌詞の一節から、私の心の内を知って頂けましたか……
それからというもの、度々おいでになり、姫君への想いをお伝えになりました。

三月桜の盛りの頃になり、玉鬘邸では姫君たちがのんびりとお過ごしでした。

十八、九才ほどになられ、ご器量も気立てもそれぞれに素晴らしく、大君(おおいきみ)は桜の細長に山吹襲(やまぶきがさね)をお召しになり愛嬌が溢れるようで、

中君(なかのきみ)は薄紅梅に桜色を重ねてすらっと優美で奥ゆかしい感じでした。

そこに兄君たちもおいでになりました。

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この立派に成人された御子たちの母親として、玉鬘はまだ大層若く美しいので、冷泉院は今も心惹かれ、昔を恋しく思い出しなさいました。

これを口実に玉鬘に逢えれば……とお考えになり、姫君のご入内を申し込みなさいましたが、
「もう御威勢の過ぎた院に娘を宮仕えさせるのは栄なきこと……。

源氏の君がおられたら、将来の幸せを取り計らって下さったでしょうに……」と悲しく思われました。

姫君たちは、御庭の桜を賭けて、
「勝った方にこの花を譲りましょう……」と、ふざけながら碁を打っていらっしゃいました。

その時、蔵人少将がおいでになりました。廊の戸が開いていましたので、そっと中を覗き込みますと、夕暮れの霞に隠れて大君の桜のお召物が、

一層美しく見えました。院に嫁がれますことをしみじみ寂しく思われるのでした。

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四月九日、大君は院に入られました。尚侍(玉鬘)はまず女御の御方にご挨拶なさいまして、夜が更けてから院の御座所に上がられました。

后や女御などは皆、長く院にお仕えして年配になっておられますので、姫君はとても愛らしく、華やかにご寵愛を受けなさいました。

院は、玉鬘もそのまま院に伺候なさるように、お心遣いなさいましたのに、早くに忍んで退出してしまわれましたので、残念に情けなくお思いになりました。

院のこの上ないご寵愛が月日とともに深まって、七月にはご懐妊なさいました。

大君がとても苦しそうになさいますので、院は毎日のように管弦の御遊びをなさっては、お慰めなさいました。

薫君や蔵人少将をお呼びになり、和琴等を弾かせなさいますので、少将にとっては誠に辛いことでございました。

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その年が改まり正月、男踏歌(おとことうか)がおこなわれました。

月が明るい夜、踏歌の行列は御前を出発して、冷泉院に参りました。院の女御方も皆、ご覧になりました。薫侍従は右の歌頭を勤められ、蔵人少将も楽人の中におりました。

少将は、「大君もご覧になっておられるだろうか……」と心落ち着きません。「竹河」を謡いますと、過ぎ去った日のことが思い出され、遂には涙ぐんでしまいました。

四月になり、大君には女宮がお生まれになりました。院には、すでに女一宮がいらっしゃるのですが、実に久しぶりのことで大層お喜びになり、ずっとご一緒にお過ごしになりました。

女御方の女房達はこれを不満に思って、意地悪をする者もありましたので、母・玉鬘は
「宮仕えなど考えるべきではなかった……」とお嘆きになりました。

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その後、中君を帝に入内させることをお決めになり、玉鬘は尚侍の位をお譲りになりました。

宮中に参内なさる時もありましたが、今も院の厄介な恋心が続いているようですので、御前には参上なさいません。院のお気持はますます募るのでございました。

左大臣がなくなられましたので、順に官位が繰り上がり、薫中将は中納言に、三位中将(蔵人)は宰相(さいしょう)になられました。

院の女御(大君)が里家にお帰りと聞いて、宰相中将(蔵人)がお訪ねになりました。

「昇進の喜びなど何とも思いませんが、私の思いが叶わない嘆きが、年月と共に重なって……」と話しなさる中将は、男盛りで誠に華やかなご容貌でございました。

玉鬘は、ご自分の息子たちの官位について、年齢から言えば不十分ではないけれど、人に遅れをとった……と嘆いておいでになりました。

( 終 )

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