源氏物語 3 澪標ー少女 (岩波文庫 黄) [ 柳井 滋 ] – 楽天ブックス
夏、蓮の花の盛りの頃に、入道の宮(女三宮)がお造りになった御持仏の開眼供養をなさいました。
源氏の君は御念誦堂の御道具類を心尽くしてご準備なさり、総てのことに御心遣いなさいました。
阿弥陀仏や脇士の菩薩は、それぞれ白檀でお造りになりましたので、誠に見事な美しい持仏になりました。
経は六道の衆生のため六部お書きになり、御持経は父院が自らお書きになりました。
親王たちも大勢参上なさり、講師が尊く開眼供養の心などを説きますと、皆、涙を流しなさいました。
宮は圧倒されなさって、とても美しく臥せていらっしゃいました。
源氏の君は宮が出家された今になって、この上なく大切にお世話なさいまして、
「せめて来世は、蓮の花の宿でご一緒に……」とお泣きになりました。
父・朱雀院は、三条にある御邸を宮のためにご用意なさいましたが、源氏の君は生きている限りは自らがこの六条院でお世話申し上げようと、大層美しく改築させ、
御封の収入や荘園からの献上物などを、三条宮の御倉に納めさせて管理をなさいました。
秋になりました。源氏の君は、西の渡殿の御前の辺りを野原のようにお造りになり、美しい声で鳴く鈴虫などを放しなさいました。
風が涼しい夕暮にお越しになっては、虫の声を聴くふりをして、今も断ちがたい想いを訴えなさいました。
入道の宮はあの嫌な出来事から決心なさったご出家ですので、今は人里離れて暮らしたい……と思われましたが、強いて申し上げることはできませんでした。
月の美しい十五夜の日、鈴虫が鳴いて趣のある夕暮れ、宮が仏の御前で念誦しておられますと、源氏の君がおいでになりました。宮がひっそりとお詠みになりました。
大方の 秋をば憂しと知りにしを ふり捨てがたき鈴虫の声
(訳)秋は辛いと知っていますが、鈴虫の声だけは捨てがたいものです……
月が明るくしみじみと心打つ情景ですので、人の世の移り変わる無情を思いながら
源氏の君が御琴をお弾きになりますと、宮は美しい音色に聞き入りなさいました。
この琴の音を尋ねて、蛍兵部卿宮や大将の君(夕霧)などが参上なさいました。
今宵は宮中で月の宴が催される予定でしたが中止になり、物足りない心地がしていましたので、こちらに参上して、皆で琴などを合奏なさいました。
「月見の夜にはいつも、ものの哀れを誘われないことはない。楽にも優れていた大納言(柏木)が亡くなって、一層悲しく思われる……」とお袖を濡らしなさいました。
御簾の内におられる宮をお慰めしようと「今宵は鈴虫の宴を催して、夜を明かそう」と仰いました。御盃が二回ほど廻った頃に、冷泉院からお誘いがあり、
雲の上を かけ離れたる住処にも 物忘れせぬ秋の夜の月
(訳)宮中から遠く離れて住んでいるこの御所にも 忘れずに秋の月は美しく照っています
同じことなら、貴方と共に……」とありました。源氏の君は大層恐縮して、
月影は同じ雲居に見えながら わが宿からの秋ぞ変はれる
(訳)月の光は昔と同じに見えますが わが世の秋は変わってしまいました
月が昇り、更けゆく空の様子が美しい頃、若い人に笛などを吹かせなさいまして、皆で冷泉院邸に参上なさいました。
改まった儀式の折には威厳を尽くして、実の父子でありながらも臣下としてご対面なさいましたが、今宵は寛いだご様子で、直にしみじみお話しをなさいました。
院はご成人なさり、その御容貌はますますよく似て、大層美しくおられます。
盛りの御年にご自分から退位をなさいましたが、今、静かに暮らされるご様子は、誠に心打たれるものがありました。
その夜の詩歌は趣き深く素晴らしいものばかりで、明け方になり人々は退出なさいました。
六条の院(源氏の君)は、秋好中宮の御方にお越しになりました。
「今は静かに暮らし、年をとるにつれて昔話などをお聞きしたく存じますが、臣下でもなく上皇でもない身分(准太政大臣)で、窮屈な思いでおります。
私よりも若い人々に先立たれ、無常の世の心細さも感じます。この世を離れて出家したいのですが、後に残された人々が心細いでしょうから、どうぞお世話いただきたく……」とお願いなさいました。
中宮は、
「母・御息所に先立たれたことばかりを悲んでおりましたが、亡き後まで物怪となって現れたと伝え聞きますと、とても悲しく、あの世での罪障が軽くないことが推測されます。
せめて私が、何とかその業火の炎を冷やして差しあげたいと考えております……」 源氏の君はお気の毒にお思いになり、
「それならば、あの母君のお苦しみが救われるような供養をなさいませ。もし出家なさったとしても、この世に悔いが残ることになるでしょう」と説得なさいました。
世の中のこと総て無常であり、出家したいと考えるお二人ですが、やはりそれは難しいようでございました。
中宮は、院がご在位中の頃よりも華やかに管弦の遊びなど催しなさいますので、優雅な日々をお過ごしでしたが、
内心、母御息所のことを思いますと、勤行の御心が深まっていくようでした。
けれども院が出家をお許しになるはずもありませんので、ただ追善供養を熱心になさいました。
( 終 )