紫式部 源氏物語 関 屋(せきや)ー第十六帖 「帚木・空蝉」の巻から十二年後の物語

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桐壺院がご崩御された次の年、伊予介(空蝉の夫)は常陸の国司に任命され、空蝉を伴って下向してしまいました。

空蝉は、源氏の君が須磨に退去された事を、遙か常陸の国で聞きましたが、心の内をお伝えする術(すべ)もなく年月が経ってしまいました。

源氏の君が京に戻られた翌年の秋に、常陸(ひたち)の守(かみ)も京に帰ることになりました。

一行が逢坂の関に入る同じ日に、源氏の君が石山寺に参詣なさいました。

山々の紅葉が趣深い風情を見せている中、源氏の行列はまるで紅葉が舞い散ったように色鮮やかで、避け切れぬほどの大勢でやって来ますので、

常陸の一行は皆 御車から下りて、牛車を木々の隙間に引き入れ、木陰に隠れるように畏(かしこ)まって行列をやり過ごしました。

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小君(こぎみ)(空蝉の弟)は、今は衛門(えもん)の佐(すけ)となっておりました。源氏の君はこれをお呼びになり、空蝉へのお手紙を託されました。

偶然 逢坂の関でお逢いできるとは、前世の縁が深かったのでしょう。源氏の君にとっても決して忘れる事のできない女性ですので、折々につけてお便りなどなさいました。

逢坂の関やいかなる関なれば しげき嘆きの仲をわくらむ

(訳)逢坂の関はどんな関なのでしょう。深く嘆き合う仲を分けるとは……

やがて空蝉の夫・常陸守(かみ)は病みがちになり、空蝉に心残してお亡くなりになりました。

残された空蝉には、しばらくの間は継息子たちが情けをかけてくれましたけれど、やはり辛い日々でございました。

ただ河内の守(継息子)はこの空蝉に好意を持っていましたので、情け深い態度をとっておりました。

しかし、やがて空蝉をわがものにしようという呆れた下心が見えてきましたので、空蝉は人知れず思い悩みまして、遂に尼になってしまいました。

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河内の守は「まだお若いのに、この先どう暮らしてゆかれるのか……」と驚き、人々は「何とも情けない……」と大層嘆いておりました。

( 終 )

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