紫式部 源氏物語 手 習 (てならい)ー 第五十三帖

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眠れないほどおもしろい源氏物語 (王様文庫) [ 板野 博行 ] - 楽天ブックス
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その頃、横川に尊い僧都が住んでおられました。

八十歳過ぎの母と妹の尼君を伴って、初瀬観音の参詣に出かけたその途中で、母君の気分が悪くなられましたので、宇治院の辺りで泊ることになりました。

院の寝殿はひどく荒れていましたので、僧都はまず読経をするように大徳たちに仰いまして、法師に松明を持たせて建物の後ろに行きました。

森のように茂った木の下に、何か白い物が広がっています。

「あれは何だ。狐が化けたか……」と近寄りますと、黒髪の長く美しい若い女のようです。

「鬼か神か、狐か木霊か……、正体を名乗りなさい……」と衣を引きますと顔を隠して大層泣いております。

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「これは本当の人間の姿だ。今にも絶えそうな命を助けないのは悲しいことだ。残りの命が少なくとも、御仏が必ずお救いくださるでしょう……」と中に運ばせなさいました。

妹の尼君がみますと、それはとても可愛らしげな女で、白い綾の衣一襲に紅の袴を着て、大層上品な感じがしました。

「まるで、先日亡くなりました私の娘が帰ってきたようです……」と泣きながら、薬湯など飲ませようとしましたが、とても衰弱していて、今にも死にそうな様子でした。

そこで阿闍梨を呼び、加持祈祷をなさいました。

女は時々、わずかに目を開けましたが、涙が止まらずに流れますので、
「まぁ、お気の毒に……深い事情がおありなのでしょう。

私のもとに亡娘の代わりとして、御仏がお導きなさったに違いない……」と、一生懸命お世話をなさいました。

女は、「例え生き返ったとしても、つまらぬ身の上でございます。

どうぞこのまま夜の川に投げ込んでください……」と、苦しい息の下に申しました。

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数日後、僧都一行は小野にお戻りになりました。母君は長旅に大層お疲れのようでしたが、だんだんと回復されましたので、僧都は山深く帰られました。

娘の尼君はこの知らない女をずっと介抱していましたが、ぐったりとして起き上がる様子もなく、誠に深刻なご容態が続くうちに、四月、五月も過ぎました。

僧都は、「きっと死ぬはずのない人に、物の怪が取り憑いているのに違いない……。私が朝廷のお召しも断って山に籠もっているのに、

この女のために修法するのは、世間から非難されることになるだろうが……」と大徳たちに口封じをして、一晩中加持祈祷をなさいました。

すると今まで少しも現れなかった物の怪が、人に乗り移って申しました。

「私は生前修行に励んでいた法師です。この世に恨みを残したまま彷徨(さまよ)っていますと、宇治の山荘にいい女が住んでいました。

取り憑いて一人は失わせました。……そして暗い夜、独りでいたこの女をも奪おうとしましたけれど、観音がご加護なさり、この僧都に負けてしまいました。

今はもう諦めて立ち去ることにしよう……」

やがて浮舟は意識を取り戻しました。

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「とうとう生き返ってしまったのか……」と涙が溢れ、自分が誰なのかもはっきり分からない様子でした。

身を投げし涙の川の早き瀬を しがらみかけて誰れか止めし

(訳)身を投げた涙の川の早い流れを、誰が堰き止めて私を救ったのでしょう

月の明るい夜などには、昔のことが思い出されますので、

我かくて憂き世の中にめぐるとも 誰れかは知らむ月の都に

(訳)私が辛い憂き世に生きていると、誰が知ろうか、月の照らす都人で……

浮舟は 少しの薬湯さえもお飲みにならずに、ただ死ばかりを願っては、
「では尼にして下さい。それならば生きていけましょう……」と繰り返しますので、

仕方もなく、僧都は頂の髪を削ぎ、五戒だけを受けさせなさいました。

この尼君の亡き娘の婿が、今は中将になっておられました。身分の高い公達を大勢伴って山に入る途中、横川にお立ち寄りになりました。

小野の山荘の垣根には撫子(なでしこ)が美しく、女郎花(おみなえし)や桔梗が咲き乱れておりました。

御几帳を隔て、尼君が、「長い年月が経ちました。過ぎ去ったことがますます遠くなりますのに、亡き娘をお忘れにならずにお訪ね下さる中将殿の御心を、大層嬉しく存じます……」と申し上げて、昔話をしみじみなさいました。

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折しも村雨が降り始めました。浮舟は奥の部屋で雨を眺めていらっしゃいました。

白い単衣に色艶のない桧皮色の袴をお召しになったお姿は、この上なく美しく見えますので、御前にお仕えする女房たちは、

「亡き姫君が生き返られたような気がします。こうして中将殿まで拝見すると、胸もつまって……同じことなら、

この姫君(浮舟)のもとにお通い下されば、とてもお似合いのご夫婦になられましょうに……」などと話して合っておりました。

それを聞いて浮舟は、「まさか……生き残ってそんなことになるのだけは避けなければ……。

その道は断ち切り、昔の事なども総て忘れてしまおう……」と強く心にお決めになりました。

尼君が奥に入られると、中将は少将の君(女房)を呼び寄せなさいました。

「あの渡廊の所で、風で御簾が揺れた時、隙間から美しい黒髪の後姿が見えたが、この出家された者たちの住む家に、誰か……」とお尋ねになりました。

少将の君は、「いずれお判りになりましょう」としか答えません。

あまり詮索するのも体裁悪い気がして「雨も止んだようだし……」と横川へ出発なさいました。

中将はとても気がかりになられ、翌日、帰る途中にまたお立ち寄りになりました。

「ここに忍んで隠している女性はどなたですか」と今度は尼君にお尋ねなさいますと、
「亡き娘を忘れがたく、その慰めとして、ここ数ヶ月お世話しております。

とても悲しみの深いご様子で……」とお答え申しました。

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中将は、何とかその姫君をお慰め申したいと、

あだし野の風になびくな女郎花(おみなえし) 我しめ結ばむ 道遠くとも

(訳 )浮気な風に靡くな女郎花 私と契りを交わそう。道は遠いけれど……

けれども浮舟は、このような色恋事に関わることすら嫌だとお考えになり、
「今は亡き者として、誰からも忘れられて終わりたい……」と強く思っておられました。

九月になりました。尼君は初瀬観音へ物詣(もう)でにお出かけなさいました。

大勢の供人を伴って出かけると、家が人少なになるのに気遣って、少将の尼と左衛門(女房)を残して出発なさいました。

皆が出立したのを見送り、頼れる者が誰もなく心細く思っていますところに、中将(娘婿)がおいでになりました。

「まぁ、嫌なこと……どうしたらよいのか……」と浮舟が奥の部屋に逃れますと、
「誠に情けない……山里の秋夜の情緒を思えば、御心も通じましょうに……」と、中に入ってこられました。

ところが、そこは老尼たちの部屋で、皆が驚き呆れておりますので、中将はうまく言い繕って、退出して行かれました。

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浮舟はなおも心細く、今夜はこの老尼たちと一緒の部屋で寝むことにしました。

恐ろしいばかりの鼾(いびき)に眠れぬまま、自分の運命の悲運を思い返していました。

「父宮の御顔も拝せず、はるか遠い東国で長い年月を過ごし、捜し求めた姉君との縁も切れてしまいました。

薫大将殿とお逢いして不運から抜け出そうとした矢先、匂宮に心変わりしたことから、総てのことが苦しみに変わりました。

匂宮が橘の小島の緑を、『変わらぬ愛』と誓いなさったことさえ、あの時には、どうして素晴らしいと思ったのでしょう……」と、今はすっかり熱が冷めたように思い直しなさいました。

やがて鶏の声が聞こえ、夜が明けてきましたので、ほっと一安心なさいました。

浮舟は、山奥に籠もっておられた僧都が、内裏に参上されることを聞いて、
「気分が悪くばかりいますので、やはり出家を果たしたいのです。

……下山あそばします折に、是非、受戒を授かりたく……」と一心にお願いなさいました。

「深い事情があるのでしょう。今まで生きるはずもなかった人が、そう決心をなさったなら、御受戒をお授け申しましょう。

今夜はまず内裏に参上しなければなりませんが、七日後、修法が終わって帰山します折に、必ず……」 浮舟は泣きながら、

「尼君が初瀬からお帰りになれば、きっと反対なさるでしょう。

やはり今日こそ……」僧都は大層気の毒に思って「それではすぐにも受戒を……」と申されました。

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櫛箱の蓋を差しだして鋏を取り出し、浮舟の髪を下ろすように大徳に申しました。

御几帳の帷子の隙間から黒髪を掻き出しますと、それは艶々と美しく、大徳はしばらく切るのを躊躇っておりました。

少将の尼や左衛門は、「何と早まったことを……尼君が帰られたら何と仰るでしょう」と取り乱しましたが、僧都が制しなさいますので、妨げることもできませんでした。

額髪は僧都ご自身がお削ぎになり、有り難いお言葉を説いて聞かせなさいました。

浮舟は遂に出家を果たし「今こそ生きている甲斐があった」とお思いになりました。

やがて僧都の一行が京に出立して、また小野の山荘は静かになりました。

浮舟は「これは人の認めない出家であり、尼姿を見るのも恥ずかしい……」と辺りを暗くしてお過ごしになりました。

何事にも気兼ねされ、ただ硯に向かって手習いだけを一心になさいました。

亡きものに 身をも人をも思いつつ 捨ててし世をぞ さらに捨てつる

(訳)死のうとして、わが身をも人をも思いながら、捨てたこの世をまた捨ててしまった…

心の向くままに書いておられますと、中将からお手紙がありました。その返事として、

心こそ憂き世の岸を離るれど 行方も知らぬ海人の浮木を (浮 舟)

(訳)心は辛い世を離れたけれど、行く方も知れず漂う海の浮木のような私よ

初瀬詣でから帰られた尼君は、この上なく悲しまれ、
「将来の長い御身の上を、これからどうお過ごしになるのでしょう……」と泣き伏してしまわれました。

けれども今はどうしようもなく、涙を抑えながら、鈍色の法衣や小袿、袈裟などを整えなさいました。心の内では僧都を大層お恨みなさいました。

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内裏では、一品の宮(女一宮)のご病気が回復なさいましたが、病後を心配して御修法を延長させなさいましたので、僧都は直ぐに帰山することも出来ずに、伺候なさっておられました。

雨の降る夜、宮のお召しがあり御前に上がりました。近くにお仕えする女房たちの中に、薫大将が親しくなさっている宰相(さいしょう)の君もおりました。

僧都は有り難い説法などなさいますついでに、初瀬参詣の折に助けた女の話をなさいました。

「その女人は今、小野に住む妹尼のところに身を隠しております。この度立ち寄りましたところ、泣きながら出家を願いますので、髪を下ろしてやりました。

勤行に身をやつすのも気の毒なほど、器量は整って美しく……」と話しますと、

傍らにいた宰相の君が、「それは、どのような人でしょう。もしや大将の想っていた方ではないのか……」と思い当たりましたが、

大層身を隠しているご様子なのでそれ以上は分からず、そのままになってしまいました。

しばらくして僧都は帰山なさいました。皆は女を出家させたことを恨んでいましたが、
「今はただひたすら勤行をなさい。

儚いこの世と悟りなさった身の上ですから……」と仰って、御法服のための綾、羅、絹などを差し上げました。

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吹く風の音も心細い頃、中将がやはり諦めきれないご様子でおいでになりました。

「せめて出家なさったお姿だけでも……」と女房を責めなさいますので、中にお入れしました。

薄鈍色の綾、その下に萱草の澄んだ色の衣を着て、お経を一心に読んでいる浮舟のお姿は、この上なく美しくいらっしゃいました。

僧都は、「これほど美しい人とは思わなかった……あの時はひどく窶れておられたが……」と、出家させたことが過ちだったようにさえ思われました。中将は、

「以前は憚られる事情もおありだろうが、今は尼となられ、なお人目を忍んでいるご様子なので、やはりわがものに……」と下心をお持ちで、御心を訴えなさいましたが、

浮舟は、「ただ情けない身の上ですので、世間から忘れられて終わりたい……」とだけ申しなさいました。

出家が叶ってからは、少し気分も晴れましたので、勤行を熱心になさりながら日々お過ごしになりました。

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年が改まりましたのに、ここ山里にはまだ春の兆しも見えません。

ある日、紀伊守(大尼君の孫)が上京して、小野においでになりました。

「内裏の公務で忙しくしておりました。……昨日も右大将殿(薫)が宇治にお出かけになるお供をして、故八宮の山荘にて一日中過ごしました。

まず姫宮の大君が先年亡くなられ、その妹君も昨年の春に亡くなられました。

その一周忌のご法事のため、女装束一領を献上しますので、こちらで縫って下さい。誠に不思議なことに、二人の姫君が宇治で亡くなられまして……、

大殿も昨日は川の流れを覗き込んで、ひどくお泣きになりました。そのお姿は誠にお労(いたわ)しいことでございました」と話されました。

浮舟はこれを聞いて、大層心乱れ、胸が潰れる思いがしました。

「まさか、あの薫大将殿は、私をお忘れになっていないのか……」

女房たちが ご自分の一周忌の衣裳を染める準備をしている様子を見るにつけても、
あり得ない気がして臥してしまわれました。

薫大将は浮舟の一周忌の法要を済ませ、しみじみと悲しくお思いになりました。

常陸の子供を気遣い、童(浮舟の弟)を形見として、お側に召使うことになさいました。

雨が降って静かな夜、薫大将は后宮のところに参上なさいました。

お話など申し上げるうちに、側に仕えていた宰相の君が、ふと耳にした僧都の話を思い出し、
「不思議な話ですが……あの浮舟に似たご様子の方を……

僧都が尼にしてやったそうでございます……」と申し上げました。

その当時のありさまなど思い合わせると、やはり違うところがないので、
「何と、本当に浮舟だとしたら……自分で訪ねていくのは愚かしいことだろうか。

もしあの匂宮が聞きなさったら、せっかくの仏道をも妨げなさるであろう。

愛しく想いながらも、そのまま亡くなったと諦めようか……」等と大層思い乱れなさいました。

けれども、ただ寝ても覚めても、この事が頭を離れません。

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「その山里はどんなところだろう。その僧都を訪ねて確かめることにしよう……」とお決めになりました。

毎月八日、根本中堂で仏事がありますので、その際に忍んで横川の僧都に会いに行こうと、あの童(浮舟の弟)を連れてお出かけになりました。

道すがら、
「もし浮舟と分かっても、逢えば……貧しい尼姿で暮らしているのに、辛い思いをさせるのではないか……」と心は揺れておられました。
( 終 )

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