紫式部 源氏物語 野 分(のわき)-第二十八帖

この年は野分(台風)が例年よりも激しいようで、空の様子が急変して風が吹き始めました。やがて風は激しさを増し、南の御殿でも花の枝も折れるほどで、紫上は端近くに出て、前栽(植え込み)の様子を心配そうにご覧になっておられました。  そこに夕霧がお見舞いにおいでになりました。風がひどいので屏風なども畳んで隅に寄せてありますので、すっかり中が見渡せます。廂(ひさし)の端に清らかで気品のある方が座っておられました。そのお姿はぱっと輝くように美しく、樺桜の花が咲き乱れるようです。

紫式部 源氏物語 篝 火(かがりび)-第二十七帖

この頃、世間の人は 内大臣が引取られた近江の君の陰口を言っておりました。源氏の君はそれをお聞きになって「大袈裟に引取っておきながら、気に入らないと冷たい扱いをなさるとは、姫君にはお気の毒なことだ……」と仰せになりました。玉鬘も、「実の父親がどんな方かも知らずに、そのまま身を寄せていたら、今頃、きっと悲しい思いをしたでしょう。源氏の君のお世話になって本当に良かった……」とお分かりになったようです。源氏の君は玉鬘の嫌がることは決して強いたりなさいませんので、だんだんと打ち解けて優しくなられました。

紫式部 源氏物語 常 夏(とこなつ)ー第二十六帖

夏の暑い日に、源氏の君は東の釣殿(つりどの)にて涼んでおられました。夕霧が来ていましたので、公達や内大臣のご子息たちも参上なさいました。西川から献上された鮎などを御前で調理などして、お酒を召し上がって賑やかに過ごされました。 西日になる頃、蝉の声もまだ暑苦しく聞こえます。「こんな暑い時には、管弦などもする気にもなれないので、眠気の覚めるような世間話でも聞かせて下さい。最近、内大臣が外で産ませた娘を迎えたそうだが……」とお尋ねになりますと、弁少将が、「はい。今年の春、ある女が娘だと名乗り出まして……事情はよく分かりません」と応えました。

紫式部 源氏物語 蛍(ほたる)ー第二十五帖

人前では父親として振る舞いながらも、人少なになると恋心を訴えなさる源氏の君に、玉鬘は大層思い悩んでおられました。もう分別のつくお年頃なので、様々にお考えになっては、母君が亡くなられた無念さを悲しく思い出されるのでした。源氏の君もご自分の想いを口にされてからは、かえって苦しくなられました。

紫式部 源氏物語 胡 蝶(こちょう)ー第二十四帖

三月二十日過ぎの頃、六条院 春の御殿には築山の木立や苔の風情が美しく、花々が今を盛りと咲き乱れておりました。源氏の君は雅楽寮の人々をお召しになって、舟楽をお楽しみになりました。舟は竜頭鷁首に造られ、唐風の装飾が施してありますので、まるで見知らぬ異国に来たような趣があり、錦を散らしたように見事でございました。 柳が青い枝を垂れ、渡廊を回る藤の花も紫濃く咲き始め、水際の山吹が岸からこぼれるように咲いていました。

紫式部 源氏物語 初 音(はつね)ー第二十三帖

元旦の朝、麗らかな空に霞が立ち初め、新春の六条院は言葉に尽くせないほど見事でした。源氏の君はそれぞれの御殿を訪れ、御夫人方に新年のご挨拶をなさいました。 紫上のおられる春の御殿には、梅の薫りが薫物と吹き混じって、この世の極楽浄土と思われるようでした。お二人は末長いご夫婦の契りを詠み交わしなさいました。

紫式部 源氏物語 玉 鬘(たまかずら)ー第二十二帖

年が経っても、源氏の君は亡き夕顔の姫君をお忘れになることはありませんでした。時折、夕顔に仕えていた右近をお呼びになり、姫君を偲んで昔話などなさいました。 この夕顔には内大臣(うちのおとど)(もと頭中将(とうのちゅうじょう))との間に女の子が生まれましたが、大臣には他に御子も多いので、親しい乳母(めのと)にお預けになりました。この子が4歳の時、乳母の夫が太宰少弐(だざいのしょうに)になりましたので、一緒に連れて筑紫に下向することになりました。

紫式部 源氏物語 少 女(おとめ)ー第二十一帖

年が改まって、藤壺の中宮の一周忌が過ぎましたので、世の中の服喪がとけました。 賀茂の祭の頃、庭先の桂の木に吹く風が慕わしく感じられますのに、前歳院(朝顔の姫君)は、亡くなられた父宮を思い出して、物思いに耽っておられました。  源氏の君からは、今も御文やお心遣いの品が届きますので、お困りのようでした。 お仕えする女房が、「亡き父宮も、二人のご縁が行き違い、結婚をお断りしてしまったことを、大層後悔しておられました。

紫式部 源氏物語 朝 顔(あさがお)ー第二十帖

源氏の君の幼なじみ朝顔の姫君は、父院(式部卿宮(しきぶきょうのみや))の服喪のため、斎院を退下なさいました。源氏の君は古い恋も忘れない癖がおありで、ずっと御文を送っておられましたけれど、姫君は煩わしい……とお返事もなさいませんでした。九月になり、この姫君が桃園の宮邸にお移りになりましたので、源氏の君は叔母の女五の宮のお見舞いを口実に、宮邸をご訪問なさいました。御邸はまだそれほど時も経っていないのに、荒れた心地がして寂しげでした。

紫式部 源氏物語 薄 雲(うすぐも)ー第十九帖

 冬になるにつれ、大堰川の情景はますます侘びしさが増し、明石の君は心細く暮らしておられました。源氏の君はこれを見かねて、二条院に移るように繰り返しお勧めになりましたけれど、明石の君は躊躇(ためら)っておられました。「それなら幼い姫君だけでも……。将来入内して立后を考えていますので、このままでは畏れ多いことです。対の御方(紫上)も逢いたがっておられますので、暫く馴れさせて、御袴着(女性の成人式)もきちんと行いたいと思います……」などと、真面目に説得なさいました。けれども明石の君は、「今になって高貴な人として大切に扱われようとも、山里の出身と人が漏れ聞くことは、繕い難いことでございます。

紫式部 源氏物語 松 風(まつかぜ)ー第十八帖

源氏の君は二条院に東院をお建てになりました。西の対に花散里をお移しになり、東の対を明石の君のために……と御心に決めておられました。更に北の対を大層広く造らせて、御几帳などで仕切りをして、今まで契りを交わした姫君たちを、集めて住まわせようと心遣いなさいました。

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