紫式部 源氏物語 夕 霧(ゆうぎり)ー第三十九帖

大将の君(夕霧)は堅物と評判でしたが、月日を経るにつれて、一条宮(柏木の妻)への想いが募っていきました。寂しく所在ない折には絶えず訪れなさいますので、母・御息所も「有り難いお心遣いを……」と大層慰められておられました。「今、色めいた振る舞いは相応しくない。ただ深い愛情をお見せすれば、いつか宮も打ち解けてくださるだろう……」と、折々につけてお見舞いなさいました。 けれども、悲しみにくれる宮がそれにお応えすることはありませんでした。

紫式部 源氏物語 鈴 虫(すずむし)ー第三十八帖

夏、蓮の花の盛りの頃に、入道の宮(女三宮)がお造りになった御持仏の開眼供養をなさいました。源氏の君は御念誦堂の御道具類を心尽くしてご準備なさり、総てのことに御心遣いなさいました。阿弥陀仏や脇士の菩薩は、それぞれ白檀でお造りになりましたので、誠に見事な美しい持仏になりました。経は六道の衆生のため六部お書きになり、御持経は父院が自らお書きになりました。 親王たちも大勢参上なさり、講師が尊く開眼供養の心などを説きますと、皆、涙を流しなさいました。宮は圧倒されなさって、とても美しく臥せていらっしゃいました。

紫式部 源氏物語 横 笛(よこぶえ)ー第三十七帖

柏木が誠に儚くお亡くなりになりましたので、今も悲しく恋い偲ぶ人々が大勢おりました。六条院におかれましても、柏木を誰よりも心にかけておられましたので、腹立たしく思いながらも、折々につけて悲しく思い出しておられました。一周忌にも特別に誦経などをさせなさいました。何も知らぬ幼い若君をご覧になるにつけても、さすがに不憫でなりませんので、黄金百両のお布施をなさいました。

紫式部 源氏物語 柏 木(かしわぎ)―第三十六帖

衛門の督はずっと思い悩みなさいまして、ご病気も回復しないまま、新しい年が明けました。父大臣や母上が深くお嘆きになる様子をご覧になり、「強いて命を絶とうとすれば、その罪は重い事だろう……。幼い頃より何事につけても人より勝ろうと思い上がってきたけれど、その本意は叶いがたく、世の中すべてが面白くなくなってしまった。何とか日々過ごしてきたのだが……遂に心が乱れ、これほどの苦しみに遭ってしまった……これも前世からの因縁であろうか……。 誰も千年生きる松ではないのだから、いつまでも生きることは出来ない。それならばせめて姫宮(女三宮)に少しは思い出してもらえる内に死ねば、哀れみをかけてくださる人があった事を、一途に燃え尽きた証としようものを……。

紫式部 紫式部 源氏物語 若菜(わかな)下 ー第三十五帖

六条院の賭弓の集いには、大勢の人々が参上なさいました。衛門(えもん)の督(かみ)は気が進まない様子でしたが、女三宮がおられる辺りの桜を見れば、この苦しい想いが慰められることもあろうか……とお出かけになりました。 弓の優れた人々が凛々しく競っ合っていますのに、ただ物思いに耽っては、「六条の大殿に降嫁したあの姫宮を、想い続けてよいものか。……大それたことだ。ただ人から非難されるような振る舞いだけはするまい」などと思い悩んだ末に、「せめてあの日の唐猫でも手に入れて、寂しい独り身の慰めに懐かせてみよう……」と思いつかれました。

紫式部 紫式部 源氏物語例 若菜(わかな)上 ー第三十四帖

朱雀院はこの頃ずっとご病気がちでございました。すっかり気弱になられて、出家したいという気持がなお一層強くなられ、その準備として西山に御寺を完成させなさいました。 この院の御子は、東宮のほかに女宮が四人おいでになりました。その中の女三宮(おんなさんのみや)には、これと言ったご後見がありませんので、院は不憫にお思いになり、格別に可愛がっておられました。御年も十三歳ほどになられましたので、御裳着(もぎ)の儀式(成人式)をお考えになり、その将来を大層心配なさっておられました。

紫式部 源氏物語 藤裏葉(ふじのうらば)ー第三十三帖

明石の姫君ご入内の準備に忙しい中でも、夕霧は思い沈んでおられました。雲居の雁は 夕霧に縁談があることを耳になさり「もしそうなったら、私の事など忘れてしまうのかしら……」と悲しくお思いでした。一方、内大臣はあれほど強情にお二人を引き離しなさいましたのに、今は何とか世間体を繕ってでも、こちらから折れた方が良いようだ……とお考えになりました。

紫式部 源氏物語 梅 枝(うめがえ)ー第三十二帖

明石の姫君の御裳着が迫り、源氏の君はその準備に心を尽くしておられました。正月末のある日、六条院にて薫物(たきもの)合わせをなり、二条院の御倉を明けさせて唐の品々など薫き比べをなさいました。二月十日、冷たい雨が降って、御前の紅梅が今を盛りと咲いていました。兵部卿宮と梅を眺めておられますと、ちょうど前斎院から、梅の枝に結ばれたお手紙と瑠璃の香壺が届きました。

紫式部 源氏物語 真木柱(まきばしら)ー第三十一帖

或る夜、鬚黒の大将は、女房の手引きで、とうとう想いを遂げてしまいました。 「帝がお聞きになったら畏れ多いこと。しばらくは世間に漏らさぬ様に……」と気遣いされましたが玉鬘は、ご自分の運命を嘆いて、深く思い沈んでしまわれました。 源氏の君は、「何とも残念だが仕方がない。今となって反対しても、相手に気の毒だし……しかしわが身の潔白は証明できたのだから……」と諦めて、ご結婚の儀式のお世話をなさいました。

紫式部 源氏物語 藤 袴(ふじばかま)ー第三十帖

尚侍(ないしのかみ)として宮仕えをするように……と、誰もがお勧めなさるのですが、玉鬘は、 「すでに帝のお側におられます中宮や女御に、辛い思いをおさせしては心苦しいですし、世間からは軽く見られて、辛い日々になるに違いない……」と躊躇っておられました。 実の父親も、源氏の君に遠慮をなさって、手元に引き取るなどはなさいませんので、かえって実父を捜し当てた後の方が、お悩みも加わるようでした。

紫式部 源氏物語 行 幸(みゆき)ー第二十九帖

その年の十二月、大原野への行幸がありました。冷泉帝の御行列は卯の刻に出発なさいまして、朱雀大路を通って五条大路を西に曲がります。今日は親王や上達部たちも特別に気遣いし、左右大臣や内大臣なども皆伺候なさいました。世の人々は揃って見物に出かけ、六条院の御夫人方もその行列をご覧になりました。

スポンサーリンク