紫式部 源氏物語 東 屋(あずまや)ー第五十帖
常陸介(ひたちのすけ)には、亡くなられた北の方との間に子供が大勢おりました。今の母腹にも数人おりましたが、この常陸介は連れ子を思い隔てる心がありますので、母君(中将の君)は恨みに思いながら子供達を育てておりました。その中でも姫君(浮舟)は大層気品があり美しくいらっしゃいました。桐壺院の八宮(はちのみや)が娘と認めて下さらなかったために、父のない子として世間から冷たく扱われましたので、「この姫君の将来こそお幸せに……」と強く願っておりました。
常陸介(ひたちのすけ)には、亡くなられた北の方との間に子供が大勢おりました。今の母腹にも数人おりましたが、この常陸介は連れ子を思い隔てる心がありますので、母君(中将の君)は恨みに思いながら子供達を育てておりました。その中でも姫君(浮舟)は大層気品があり美しくいらっしゃいました。桐壺院の八宮(はちのみや)が娘と認めて下さらなかったために、父のない子として世間から冷たく扱われましたので、「この姫君の将来こそお幸せに……」と強く願っておりました。
その頃、藤壺にお住まいの女御(にょうご)は、まだ帝が東宮の時に誰よりも先に入内(じゅだい)されましたので、帝のご寵愛は格別でございました。明石中宮に大勢の御子がお生まれになりましたのに、この女御にはただ一人の女宮しかおられません。けれども帝はこの女二宮(おんなにのみや)をとても大切になさいますので、華やかに趣き深くお暮らしでございました。
宇治の山里にも春がやってきましたが、中君は悲しみに暮れておられました。花や鳥の声につけても、この世の悲しさを大君と語り合ってこそ慰められることもありましたが、聞き知る人もいない今は、ただ心細く、総てが真っ暗闇に感じられました。阿闍梨のもとから、蕨(わらび)や土筆(つくし)などが入った籠が届きました。
山里では耳馴れた川風も、この秋は特に悲しく聞こえます。薫中納言は阿闍梨と共に、八宮の一周忌法要のご準備をなさいました。 薫中納言が山荘をお見舞いなさいますと、御簾の隙間から名香の糸を結んだ糸繰台が見え、「涙を玉にして、糸を通して……」と、誰かが口ずさんでいるのが聞こえました。
如月の頃、匂兵部卿のご一行は、初瀬観音に参詣に行かれました。その帰りに、宇治にある右大殿(夕霧)の別荘にお立ち寄りなさいました。宮は馴れない遠出に少しお疲れになりましたので、管弦の遊びなどなさりながら ゆっくりお過ごしになりました。 山里では美しい楽の音も一層澄み渡り、対岸のあの山荘にも聞こえてきました。八宮には昔が思い出されて、 「美しい笛の音……誰だろう。六条院は大層風情があり、愛嬌のある音をお吹きになりましたけれど、これは澄み上がって気品がある……致仕の大臣の御一族の笛に似ているようだ……」などと独り言を仰いました。
「宇治十帖 」ここからは、宇治を舞台に語られる薫の恋物語です。 その頃、世間から忘れられた古宮がおられました。特別の地位につくべき方でしたが、御威勢も衰えて、政界から退かれ、孤立してしまわれました。北の方も高貴な姫君でしたが、世の中悲しい事が多くなり、深い夫婦仲を慰めにひっそり暮らしておられました。
これは関白太政大臣(もと鬚黒大将)の家の物語。 源氏の君が亡くなられた後は、世の有様がすっかり変わってしまいました。六条院では、尚侍(ないしのかみ)(玉鬘)のご相続についても、源氏の君の娘分としてお扱いになりましたので、今は大層優雅にお暮らしでございました。玉鬘のお生みになった御子は男三人、女二人。大切にお育てになっておられますうちに、鬚黒の大将はあっけなく亡くなられました。
その頃、按察大納言(あぜちだいなごん)(柏木の弟)は、帝からのご信望も厚く、理想的な暮らしぶりをなさっておられました。北の方は二人おいでになりましたが、最初の方は亡くなられ、真木柱の君(黒鬚大将の娘)を妻として迎えなさいました。お子様は四人おいでになり、どの御子をも分け隔てなく可愛がっておられました。
源氏の君が亡くなりました後、あの輝きを継ぐ方はおられないようでしたが、世間では、今上帝と中宮(明石姫君)の間にお生まれになりました三宮(匂宮)と、女三宮の若君(薫)がそれぞれに美しいと評判でございました。亡き紫上が格別に可愛がりなさいました匂宮は、今も二条院にお住まいになり、帝や后が大切にお世話をなさいました。元服なさってからは、兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや)となられました。
新しい年を迎え、人々が年賀に訪れなさいますのに、源氏の君は涙の乾く暇もなく、御簾の中にばかりおられまして、どなたにもお会いになりません。 麗らかな春の光をご覧になるにつけても、 わが宿は花もてはやす人もなし 何にか春のたづね来つらむ (訳)私の家には花を喜ぶ人もいないのに、どうして春が訪ねて来たのでしょう 兵部卿宮がおいでになりました。紅梅の下を歩くお姿が優しく見えますので、今はこの方の他に、僅かに咲きかけた花を愛でる人もいな……と悲しくご覧になりました。
いつの間にか年月が重なり、紫上がますます衰弱なさいましたので、源氏の君は先に逝かれるのは耐えがたく、長年の夫婦の縁の別れを大層悲しくお思いになりました。この頃になると、紫上は「余命少ない……」とお感じになり、「やはり出家をして、僅かでも命の限り一途に勤行をしたい……」とお願いなさいますのに、源氏の君はお許しになりません。ご自分でも出家をなさりたいので、ご一緒に出家生活に入ろうかともお思いになりましたが、来世ではひとつの蓮の座を分け合おうとお約束なさりながら、このように頼りなく病が重くなってゆかれますのがお気の毒で、躊躇っておられるようでした。