紫式部 源氏物語 少 女(おとめ)ー第二十一帖

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年が改まって、藤壺の中宮の一周忌が過ぎましたので、世の中の服喪がとけました。

賀茂の祭の頃、庭先の桂の木に吹く風が慕わしく感じられますのに、前歳院(朝顔の姫君)は、亡くなられた父宮を思い出して、物思いに耽っておられました。

源氏の君からは、今も御文やお心遣いの品が届きますので、お困りのようでした。

お仕えする女房が、「亡き父宮も、二人のご縁が行き違い、結婚をお断りしてしまったことを、大層後悔しておられました。

今は源氏の君のご正妻も亡くなられ、昔に戻って熱心に仰って下さるのも、そうなるはずであったのだと思われます……」と申し上げますのに、

姫君は、「今になって、またご意向に靡いて結婚しますというのも、おかしな事でございます」ときっぱり仰いますので、もうそれ以上お勧めすることはしませんでした。

源氏の若君(夕霧)が十二歳になり、元服の儀を迎えられました。世間は当然四位の御位に就かれると思っておりましたが、

源氏の君は、「まだ若いので官位をつけずに、暫くは大学で勉強させることにしよう。私が亡き後、時勢が変わっても、学問を基礎にして、政治家として世の重鎮となるべき心構えを学んだなら、世間に認められることになるだろう……」と

お決めになり、院の中に御曹司(部屋)を造って 才深い先生方に預けなさって、学問をさせなさいました夕霧は、大将などの子供が昇進したのに、

自分だけがまだ浅葱色の服を着ていることが恥ずかしく、父君をお恨みになりましたが、もともと真面目で勤勉なご性格ですので、わずか数カ月のうちに「史記」などをすっかり読み終えてしまわれました

源氏の君は大学寮の試験を受けさせるために、まず予備試験をなさいましたが、呆れるほどよくできますので「亡き大臣(おとど)が生きておられたら……」と涙を流されました。

試験当日には、大学寮に参上なさいまして、賤しい者たちの末席にお座りになり、辛くお思いになるものの少しも気後れせずに、最後まで立派に終えられました。

朱雀帝が即位され五年が過ぎ、立后の儀が近づきました。

「斎宮の女御(御息所の娘)こそ、帝のお后として相応しい方と、母宮も遺言されましたので……」と、源氏の君がご遺志にかこつけて主張なさるのに対し、大将は、
「わが弘徽殿の女御が、誰より先に入内されたから相応しいのだ」と主張なさいました。

更に式部卿の宮も「同じことなら、母方と親しいわが娘こそ、母君のいない代わりのお世話役として……」と競いなさいましたが、結局、斎宮の女御がお后に決まりました。

源氏の君は太政大臣に昇進なさいました。大将(もと頭中将)は内大臣になられまして、お人柄も実直で学問などに優れておられますので、世の政治なども大層立派になさいました。

この内大臣には御子が多く十余人ほどで、どの方もご立派で大層栄えておりました。

女の御子は弘徽殿の女御の他にもう一人、大宮に預けられた愛らしい姫君がおりました。

夕霧は大宮の御邸で、この姫君とご一緒に成長されましたが、十歳を過ぎてからは部屋が別々になり、離れて暮らすようになりました。

けれども子供心にも、お互いに慕わしく想うようで、お二人は仲の良い間柄でございました。

時雨が降って萩に吹く風がしみじみ感じられる夕暮、内大臣が母・大宮のところに参上なさいました。

姫君をお側にお呼びになり、御琴を弾かせなさいました。姫君は黒髪が艶々して上品で、とても可愛らしいご様子でした。

「わが娘(弘徽殿の女御)を帝の中宮にしようと入内させたのに、思いがけず源氏の君が後見する斎宮の女御に負けてしまいました。

せめてこの姫君だけは、春宮のお后にと願っておりますが、明石姫君が入内なされば、またしても……どうなることか……」と、この件について、源氏の君に恨みを持っておられるようでした。

御庭の木の葉がはらはら散って、趣き深く感じられますので、内大臣も和琴を引き寄せてお弾きになりました。

老女房たちが御几帳の後ろに集まって聞き惚れていますと、ちょうどそこへ冠者の君(夕霧)がおいでになりました。

「学問ばかりしてお籠もりなさらず、時には……」と御笛を差し上げますと、大層若々しく美しい音色でお吹きになりました。

けれども姫君を奥に引き取らせ、強いて二人の間を遠ざけなさいますので、女房達は、
「お気の毒なことが起こりそうなお二人ですこと。

とは言え人の親、いずれ後悔することになられるのでは……」などと噂をしていました。内大臣はこれを偶然耳に留められ、心穏やかでなくなってしまわれました。

二日ほどして、内大臣が再び参上なさいました。大層ご機嫌が悪い様子で、
「母君に幼い姫君をお預けして、一人前にして下さると信じていましたのに、誠に残念です。

若い者を思いにまかせて放っておかれたとは……」 大宮は驚き呆れて、
「まだ年端もゆかない二人に、考えもしないことです。

つまらぬ世間の噂を信じて、私をお責めになるとは思いもよらぬこと……」と大層お嘆きになりました。

その夜、夕霧はお寝すみになれません。人々が寝静まった頃、姫君のお部屋の障子を引いてみますと、いつもは錠など下ろしていないのに、今夜は堅く錠されています。

ちょうど姫君も目を覚ましているようで、風の中に雁の鳴く声が微かに聞こえますので、「雲居の雁も、私のように悲しいのかしら……」と小声で仰いました。

その様子が誠に愛らしく、夕霧は「どうぞここをお開けください……」と仰いましたが、返事はありません。

独り言を聞かれたのが恥ずかしく、姫君は音も立てずにいらっしゃいました。

内大臣は大層不機嫌で、弘徽殿の女御が立后できずに悲しんでいるので、里家に退出させなさいました。

この女御を慰めることを口実に、姫君(雲居の雁)を大宮のもとから引き取られ、夕霧と引き離すことをお決めになりました。

それを知って、夕霧が涙を拭っておられますので、夕闇に紛れて、乳母がお二人を密かに逢わせてくれました。お互いに胸がどきどきして恥ずかしく、ただお泣きになりました。

「内大臣のお気持が辛いので、一度は諦めようかと思いましたが、恋しくてなりません。私を恋しく想ってくださいますか……」と仰ると、雲居の雁が大層愛らしく頷(うなず)きました。

夕霧はただ一途な気持ちで、腕の中から姫君をお離しになりませんでした。

ちょうどそこに姫君の乳母がやって来て、
「情けないことです。姫君のお相手がわずか六位程度の方とは……」と言っているのが聞こえました。

夕霧は、「私のことを、御位が低いと軽蔑しているのか……」と許し難く思われ、

くれなゐの涙に深き袖の色を 浅緑にや言ひしをるべき

(訳)真っ赤な血の涙を流して、恋い慕っている私の袖の色を、
浅緑だと言って、見下してよいものでしょうか ……

やがて内大臣がこちらに戻られましたので、二人は仕方なく別れました。

源氏の君は、今年の五節(ごせち)の舞姫として、惟光の娘を帝に献上なさいました。

この舞姫は大層美しいと評判でしたので、朝臣(惟光)も大切な愛娘を差し出すのは辛く思われましたが、そのまま宮仕えをさせようか……とも考えていました。

東の院では、参内の夜のご装束などを、大層美しく立派にご準備なさり、舞姫に付き添う女房などをも丹念に選びなさいました。

あの日以来、夕霧は、浅葱色の服が嫌なので宮中に参内もなさらず、部屋に籠もっていらっしゃいましたが、今日は五節の儀ということで、直衣の色も許され、気分転換に邸内をお歩きになりました。

妻戸の間に屏風などを置いて、舞姫の控え所が作ってありました。夕霧がそっと近寄って中を覗いてご覧になりますと、なんと恋しい人に大層よく似た舞姫がおりました。

その愛らしさが心に強く焼き付いて、「雲居の雁に逢えないのなら、寂しい心の慰めとして、何とかこの少女を手に入れたい」とお思いになりました。

緑色の薄様の紙に墨継ぎも美しくお書きになり、日影にもしるかりけめや少女子が 天の羽袖にかけし心は

(訳)日の光にはっきりとお分かりになったでしょう。天の羽衣を着て舞うお姿に、熱い想いをかけたこの私を……

父・惟光がこの手紙を見て
「源氏の君のご子息が、わが娘を一人前にお考え下さるなら、宮仕えよりは差し上げようものを……」と嬉しくお思いになりました。

源氏の君は、東院の西の対の御方(花散里)に夕霧をお預けになりました。この御方は、何事も君の仰る通りになさるご性格ですので、大層親しく可愛がりなさいました。

年の瀬になり、大宮がお正月の装束などをこの冠者の君(夕霧)のために、準備なさいました。

夕霧は涙ぐんで、「父君は他人行儀に、私を遠ざけなさいます。対の御方は優しくして下さいますが、母君(葵の上)が生きておられたなら、こんなに思い悩むこともなかっただろうに……」と涙を堪えておいでになりました。

大宮も大層お気の毒にお思いになって、「生い先長い貴方までが、このように身の上を悲観していらっしゃるとは……。さまざまに恨めしい世の中です」と涙ぐんでしまわれました。

源氏の君は六条京極の辺りに趣き深く、広くて立派な御殿をお建てになり、あちこちに離れてお住まいの姫君を、集めて住まわせようとお考えでございました。

八月になり、六条院が見事に完成いたしました。

東南の春の町には、源氏の君と紫上が入られる予定で、山を高く築き桜などの数限りない春の花木を植えさせて、池の水面が映えるようにお造りになりました。

北東の町には、涼しそうな泉があり、夏の木陰が美しいように、呉竹などをお植えになりました。東面に馬場殿を造って、水際に菖蒲を植え、花散里をここにお移しいたしました。

西南の秋の町には、秋好中宮を住まわせなさいまして、元からある山に紅葉の美しい木々を無数に植えて、泉の水を清らかに流して遣り水が一層際立つようになさいました。

そして北西の町は、明石の君のために、大堰の風情を真似て、沢山の松の木を植え、雪を観るのに相応しいようにお造りになりました。

それぞれの町の境には塀や廊を造り、御方々がお互いに往き来が出来るように、親しく風雅になさるように……と気遣いなさいました。

彼岸の頃にお引っ越しをなさいました。春の町では御車十五台、それでも世間に気遣いし、大袈裟でなく簡略になさいました。同じ日に花散里もお入りになりました。

数日が過ぎて、秋好中宮がお移りになりました。そのご様子は素晴らしく、世間から格別に重んじられている様子が窺えました。

九月の頃ですので、中宮の御庭は紅葉が色付いて誠に素晴らしい風情でした。夕暮れになって、御箱の蓋に秋草や紅葉を載せて、紫上にお届けなさいました。

心から春まつ園はわが宿の 紅葉を風のつてにだに見よ

(訳)心から春をお待ちのお庭では、せめて私の邸の紅葉を
風の便りに御覧ください……

紫上は、この御箱の蓋に苔を敷きつめ巌の感じを出して、五葉の松の枝に御文を結んで、お返しなさいました。

風に散る紅葉は軽し春の色を 岩根の松にかけてこそ見め

(訳)風に散ってしまう紅葉は軽々しいものです、春の色を
岩に根ざした松の変わらぬ緑にこそ御覧になってほしいものです

源氏の君は、
「この時期に紅葉の手紙とは憎らしい……春、花の盛りにお返事なさい」と仰いました。

明石の君は「数にも入らないわが身は、いつか分からないようにこっそりと……」と、御方々の引越しが終わって、神無月に入ってからお移りになりました。

源氏の君は、姫君のご将来をお考えになり、他の方々に劣らないようにと気遣いして、大層重々しくお扱いなさいました。

( 終 )

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