源氏物語 姫君、若紫の語るお話 (10歳までに読みたい日本名作 12) [ 紫式部 ] – 楽天ブックス
朱雀院(すざくいん)への行幸(ぎょうこう)は十月十日過ぎに催されます。
帝はその美しい舞楽を藤壷の宮がご覧になれないのを物足りなくお思いになり、紅葉散り交じる清涼殿(せいりょうでん)の前庭で、予行演奏をさせなさいました。
源氏の君は頭中将(とうのちゅうじょう)と共に清海波(せいがいは)を舞われました。
その舞姿はこの世に類の無いほど美しく、帝は思わず感涙をお拭いになりました。
翌朝、源氏の君は藤壺の宮に、御歌をお贈りになりました。
もの思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の 袖うち振りし心知りきや
(訳)貴女を想いながら、舞うこともできないほど辛い私が、
袖を振って舞いました。この気持をお分り頂けたでしょうか ……
行幸の当日は、内裏を挙げて親王など一人残らず伺候なさいました。
恒例の通りに、楽の舟が池を漕ぎ回り、唐楽、高麗楽など素晴らしい楽の音が四方に響き渡りました。木高い紅葉の下で舞われる青海波は、不吉なまでに美しく見えました。
帝は、
「鬼神に魅入られ、早死にするのでは……」と不安になられ、御誦経などおさせになりましたので、春宮の母・弘徽殿(こきでん)の女御(にょうご)は、大層妬ましくお恨みになっておりました。
その夜、源氏の中将は正三位に、頭中将は正四位に昇進なさいました。
左大臣(義父)は 源氏の君が幼い姫君(若紫)を二条院に迎えられた事を伝え聞き、大層ご心配なさいました。
葵の上も大層不愉快にお思いで、源氏の君がお渡りになりましても、ただ取りすまして打ち解けない態度をなさいました。
源氏の君は、「こんなに愛しく思っていますのに、お分かり頂けないのか……」とお辛いようでした。
一方、二条院の幼い姫君は、慣れるほどにとても愛らしくなられました。
日が暮れて、源氏の君が女君のところにお通いになる時にはすねてしまいますので、ますま可愛らしく、愛しくお思いになりました。
そこでこの姫君のために、正式に家政を管理する人をお決めになり、将来も不安のないようにと仕えさせなさいました。
藤壷の宮のご出産が予定の十二月を過ぎてしまいました。物怪(もののけ)の仕業であろうか……と内裏の人々が騒ぎますので、
藤壷の宮は、「もしや、この出産でわが命を終えるのではないか……」と思い悩んでおられました。
源氏の中将は、お生まれになるのは間違えなく『わが御子(みこ)』と思い当たられ、密かに御祈祷などおさせになりました。
二月半ば、無事に男御子がお生まれになりました。
この御子は呆れるほど源氏の君に生き写しですので、藤壺の宮はあの日の過ちを思い出し、大層お苦しみになり、弱々しくなってしまわれました。
「でも、今死んだら物笑いになろうか…」と気を強くお持ちになり、やがて快方に向かわれました。
四月になり、藤壺の宮は内裏へお上がりになりました。桐壺帝は忍びの逢瀬があったとは知る由もなく、光輝くほどの美しさでお生まれになったこの皇子を、傷なき玉と大切になさいますので、藤壷は御心の安まる暇もなく物思いに沈んでおられました。
いつものように源氏の君がおいでになって、管弦の遊びをしておられますと、帝が、皇子を抱いてお出ましなさいました。
「御子は大勢いるけれど、この皇子は本当にそなたによく似ている……小さい頃は、皆 このように可愛いものだろうか……」と、心から愛しく思っておられました。
帝のお言葉に顔色が変わる思いがして恐ろしく、父宮には畏れ多く思われましたが、一方、わが子にはいとおしく感じられ、思わず涙が落ちてしまいそうでした。
「かえって逢わない方がよかった……」と心乱れる思いで、二条院にお帰りになり、横になられまして、胸の苦しさをようやく鎮めなさいました。
翌朝、前栽に咲く撫子(なでしこ)の花を折らせなさって、藤壺の宮にお届けなさいました。
よそへつつ見るに心はなぐさまで 露けさまさる撫子の花 (源氏の君)
(訳)思いよそえて見ても心は慰まず 涙を催させる撫子の花(御子)よ
袖濡るる露のゆかりと思ふにも なほ疎まれぬ大和撫子 (藤壺の宮)
(訳)袖を濡らしている方の縁と思えば やはり疎ましく思われる大和撫子
桐壺帝は御譲位なさる御心遣が近くなって、この御子を皇太子にとお考えになるのですが、御後見がありません。
せめて藤壷を中宮の位につけて、力添えにしようとお考えになりました。
それに対し、弘徽殿(こきでん)の女御(にょうご )が大層動揺なさいましたので、帝は、
「皇太子(弘徽殿の御子)が即位される日が近くなったのですから、貴女は疑いもなく皇太后の位につけるのです。お気をお鎮めなさいませ……」とお仰せになりました
藤壷の宮が中宮の位にお就きになり、源氏の君は宰相(さいしょう)になられました。
中宮が参内なさる夜に、宰相がそのお供をお務めになりましたが、御輿(みこし)の中のお姿が愛しく、いよいよ手の届かない遠い方になられて、しみじみ寂しくお思いになりました。
尽きもせぬ心の闇に暮るるかな 雲居に人を見るにつけても
(訳)尽きない想いに闇のような日を過ごしています。
雲居のように高い地位につかれる方を、見るにつけても……
皇子は成長なさるにつれ、源氏の君と見分けがつかないほど美しくなられますので、中宮は大層お苦しみになりました。けれども誰もその秘事に気付く人はないようでした。
( 終 )