かな料紙風 伝言帳『源氏物語』100枚綴り|和小物 伝言帳 便箋 一言メモ 一言箋 メール便可 – 書道用品 奈良 寿香堂
京に戻られた源氏の君は、まず父院の御霊供養のため法華御八講(ほっけみはこう)を催されました。
皇太后(もと弘徽殿の女御)は重いご病気になられましたのに、今も、
「遂に、源氏の君を失脚させることが出来なかった……」と悔しくお思いでした。
朱雀帝は故院のご遺言を思い、剥奪されていた源氏の君の官位をお戻しになりましたので、御心地も涼しくなられ、御目もすっかり回復されました。
世間の人々は皆、嬉しいこととお喜び申し上げました。
朱雀帝が譲位なさる日が近くなりました。帝は尚侍(ないしのかみ)(朧月夜)が大層悲しんでおられますお姿をご覧になって、
「私の愛情は他の誰よりも強く、ただ貴女のことだけを愛しく想っていましたのに……
どうして……せめて御子だけでも持たなかったのだろう。誠に残念なことだ……」とお泣きになりました。
姫君は、
「限りない帝の愛情が、年月と共に深くなりますのに、源氏の君は素晴らしい方ではあっても、それほど私を愛しては下さらなかった……」とようやくお分かりになり、ご自分の未熟で無分別な日々を、心から悲しくお思いになりました。
翌年二月、春宮(とうぐう)の御元服の儀式が行われました。春宮は十一歳になられ、年齢よりずっと大きく、源氏の君によく似て眩いほど美しくなられましたので、
母宮(藤壷入道)だけは心を痛めておいでになりましたが、世の人々は素晴らしいと見ておりました。
やがて源氏の君は内大臣として世の政事(まつりごと)を執ることになられましたが、
「そのような忙しい職務には耐えられまい」と、致仕(ちじ)の大臣(左大臣・葵の父君)を、政界に復帰させなさいました。
ご病気を理由に、騒がしい世を憂いて籠もっておられましたが、今は太政大臣になられ、沈んでいた御子達も皆、華やかに復帰なさいました。
さらにご子息たちに次々に御子がお生まれになり、大層賑やかにおられますので、源氏の君は羨ましくお思いになりました。
大殿腹の若君(夕霧)は誰よりも可愛らしくなられ、内裏や春宮に童殿上しておられました。
大臣や大宮も、改めて姫君(葵)が亡くなられたことを嘆いておられましたが、思い沈んでいた頃の名残もなく、皆が栄えなさいました。
源氏の君は、二条院の東の院を素晴らしく改築させて、花散里などお気の毒な姫君を住まわせようとお考えになりました。
更に二条院で、源氏の君のご帰京を待ち続けていた女房たちにも、それぞれの身分に相応しく愛情をおかけになったのでございます。
一方、公私にお忙しい源氏の君も、明石の浦の姫君をお忘れになることはなく、
「もうそろそご出産の頃か……」とご心配なさっておられますと、お遣いが参上して、
「十六日、女の子が無事お生まれになりました」と報告申し上げました。
源氏の君は大層お喜びになり「明石には頼りになる乳母(めのと)もいないだろう」と、昔、故院にいた女房の娘を仕えさせることを決め、沢山の贈物を持たせて、明石へ出発させなさいました。
いつしかも袖うちかけむ をとめ子が 世を経て 撫づる岩の生ひ先
(訳)早く手元に引き取って大切に姫君の世話をしたいものです
天女が羽衣で岩を撫でるように、幾千万年も姫の行く末を祝って
明石の君は、源氏の君が帰京されまして以来、大層思い沈んでおいでになりました。
すっかり弱々しくなられて、もう生きていけない……とまで思い悩んでおられましたので、この源氏の君のお心遣いに大層慰められ、
ひとりして撫づるは袖のほどなきに 覆ふばかりの蔭をしぞ待つ
(訳)私一人で姫君をお世話するには心細いので
覆うばかりの大きなご加護をお待ちしております……
明石の姫君ご誕生について、まだ紫上にお話していませんでしたので、他からお耳に入っては困るとお思いになって、ご自分からすっかり打ち明けなさいました。
紫上は、
「須磨にお別れした日から、死ぬほど悲しく嘆いておりましたのに、一時の慰めごととは言え、他の女性に愛情を分けておられましたのか……」と涙ぐんでしまわれました。
背を向けて思いに耽り、
「でも私は私……。しみじみと愛情深い仲でしたのに……」と弱々しく呟かれ、
思ふどちなびく方にはあらずとも われぞ煙に先立ちなまし
(訳)愛し合う二人が、なびく方向が違うなら、私は煙となって先に
死んでしまいたい……
「何という事を……命は儚いもの。全てがただ貴女お一人のために堪えてきたのです」とお慰めなさいましたが、恨んで腹を立てていらっしゃるご様子が、
誠にいとおしく見えますので「なんと可愛らしい方だ……」とお思いになりました。
明石の姫君の五十日目の祝を、人知れず日数を数えなさいまして、またとなく素晴らしい御祝いの品々を届けさせなさいました。
お手紙には、
「海の松陰にいたのでは、何も分かりません。このまま過ごすことはできませんので、京への出立をご決心ください。少しも心配なさることはありません……」と
ありました。入道は「生きていた甲斐があった……」と、嬉し泣きをしておりました。
その秋、源氏の君は御願が叶いました御礼にと、大層立派な行列で、住吉神社に参詣なさいました。
折しも、明石の君も恒例の参詣にお出かけでございました。
渚には松原の深い緑に、花紅葉を散らしたように華やかな装束の供人が大勢見えました。
明石の君は遙かに源氏の君の御車を見ますと、かえって心が苦しくなり、恋しいお姿を拝することも出来ませんでした。
行列の中に 源氏の若宮(夕霧)が大切に傅(かしず)かれている様子をご覧になり、同じ源氏の御子でありながら、わが姫君を数に入れて下さらないような気がして悲しくなられ、お参りもなさらずに渚を漕ぎ去ってしまわれました。
その事を惟光(これみつ)から聞いて、源氏の君は大層気の毒にお思いになり、
みをつくし 恋ふるしるしにここまでも 巡り逢いける縁は深しな
(訳)身を尽くして恋い慕っていた証として、ここでめぐり逢えた縁は深いものですね……
明石の君には誠にもったいなく思われて、涙がこぼれるのでした。
数ならで難波のことも甲斐なきに などみをつくし思ひそめけむ
(訳)とるに足らむ身で、何もかも諦めておりましたのに
どうして身を尽くしてお慕いすることになったのでしょう……
暫くして、明石に遣者がやってきて、近いうちに京にお迎えする旨を報告いたしました。明石の上は、
「大層頼もしく、人並みに扱って下さるようですけれど、明石を離れても、心細いことが多くあるのでは……」と思い煩いなさいました。
父入道も姫君を手放すのはとても不安で、かえって物思いが増すように思われました。
朱雀帝の譲位に伴い、斎宮も代替わりしましたので、あの六条御息所も京に戻られました。
六条の旧邸を趣き深く修理して風雅にお住まいでしたが、やがて重く病みつかれ、大層心細く出家をしてしまわれました。源氏の君は驚いて、早速お見舞いなさいました。
枕元近くにお座りになって、脇息(肘置き)に大層弱々しく寄り掛かり、
「私の気持をお分かり頂けないままに逝くのか……と残念に思っておりました。
私が亡くなりました後には、斎宮を必ずやお世話くださいませ。他に後見を頼む方すらなく、心細い身の上でおりますので、
どうぞ色めいた関係でなく、ご後見人としてお世話下さいますように……」と、消え入るようにお泣きになりました。
「このような言葉を頂かなくても、斎宮を見放すことなど決してありません。ご心配なさらぬように……」と心深くお約束なさいました。
外が暗くなり、灯火が微かに見えるので、御几帳の隙間から中をご覧になりますと、美しい黒髪を華やかに尼削ぎにして、脇息に寄り掛かったお姿は、絵のように美しうございました。
東面に臥せっていらっしゃるのが斎宮のようで、頬杖をついて悲しそうなご様子は誠に可愛らしく、源氏の君は大層心惹かれなさいました。
しかし母君が強く仰るのだから…と思い止まりなさいました。
「もう、苦しくなりました……」と弱々しく仰いますので、心からのお見舞いを申し上げてお帰りになりました。それから七、八日ほどして、遂にお亡くなりになりました。
源氏の君は、人の命が儚く心細くお思いになって、内裏にも参上なさらず、ご葬儀のことなどを指示なさいました。
数日後、雪や霰が激しく吹き荒れる夜、斎宮のことをご心配なさいまして、
降り乱れひまなき空に亡き人の 天翔るらむ宿ぞ悲しき (源氏の君)
(訳)雪や霙が降り乱れている空を、亡き母宮の御霊が
天翔けっているようで、悲しく思われます……
消えがてにふるぞ悲しきかきくらし わが身それとも思ほえぬ世に(斎宮)
(訳)消えそうに暮らし、日が経つのが悲しく思われます
悲しみにこれがわが身とも思われません。この辛い世の中に……
月日がはかなく過ぎ、お仕えする人々も去っていきました。六条の辺りには山寺のような鐘の音が寂しく聞こえ、斎宮は母君を思い出されました。
「片時も離れることなく、伊勢にもご一緒に下られましたのに、死の旅立ちにはご一緒できなかった……」と、大層嘆き悲しんでおいでになりました。
朱雀院は、この斎宮が昔、伊勢に下られる儀式の折、不吉なまでに美しく見えたご容貌を今もお忘れにならず、院に入内(じゅだい)なさるように申し入れなさいましたが、源氏の君は美しい斎宮を手放すのを残念に思い、藤壷入道の宮にご相談なさいました。
入道の宮は、
「故御息所の御遺言を口実に、院にではなく、冷泉帝にお仕えさせることにしましょう……」と申しなさいました。
源氏の君はご後見は言うまでもなく、明け暮れにつけて細かいお心遣いをなさいますので、斎宮は誠に頼もしくお思いになりました。
君が、「ご一緒にお過ごしになるには、帝はちょうどよいお年頃でしょう……」と申しなさいますと、斎宮は嬉しくお思いになって、入内のご準備をなさいました。
藤壷入道の宮はやがてご病気がちになられましたので、幼い帝には、斎宮のように少し年上のお世話役が必要なのでございました。
( 終 )