京都たのしい源氏物語さんぽ [ 朝日新聞出版 ] – 楽天ブックス
三月二十日過ぎの頃、六条院 春の御殿には築山の木立や苔の風情が美しく、花々が今を盛りと咲き乱れておりました。
源氏の君は雅楽寮の人々をお召しになって、舟楽をお楽しみになりました。
舟は竜頭鷁首に造られ、唐風の装飾が施してありますので、まるで見知らぬ異国に来たような趣があり、錦を散らしたように見事でございました。
柳が青い枝を垂れ、渡廊を回る藤の花も紫濃く咲き始め、水際の山吹が岸からこぼれるように咲いていました。
皆、絵画のような美しさに、時の経つのを忘れて、心奪われておりました。夜になり、御前の庭に篝火を灯して、宴は夜もすがら催されました。
翌日は中宮(もと斎宮)の御読経(みどきょう)の日でした。紫上は仏に献花をなさいました。
鳥や胡蝶に扮した童女たちが花を奉り閼伽棚に供えました。
源氏の君をはじめ上達部などもおいでになり、誠に立派な法会となりました。
衣更えの過ぎた頃になると、美しいと評判の玉鬘のもとに、若い公達からのお手紙が一層多くなりました。
源氏の君は度々お越しになっては、それらのお手紙をご覧になり、然るべき相手にはお返事を書くようにとお勧めになりますので、玉鬘は辛いこと……とお思いでした。
中でも兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや)(源氏の弟君)は、北の方が亡くなられてまだ間もないのに、恋い焦がれる手紙をよこしなさいますので、
「風流な和歌を詠む人ですから、お返事をお書きなさい……」と仰るのですが、姫君はただ恥ずかしがって、横を向いていらっしゃいました。
その美しい横顔をご覧になって御心の内では「他人の妻にやるのは誠に惜しいものだ……」とお思いになりました。
他にも玉鬘に想いをよせる公達(きんだち)は沢山おられました。殿の中将(もと頭中将の息子)は大層生真面目な方でしたが、
すっかり夢中になられ御簾のお側近くによっては、熱い想いを訴えなさいました。
まだ玉鬘が実の姉だとは、全くご存知ないのでした。
鬚黒(ひげぐろ)の大将(春宮の伯父)も、何とか想いを伝えたい……とうろうろしておりました。
源氏の君には、玉鬘のお相手を誰と決められそうもなく、父親らしく振る舞うこともできそうにありません。ご自分自身が、すっかり玉鬘に心惹かれてしまったようです。
ある日、お庭の呉竹が風に揺れて大層美しいのに足を止めて、
「大切に育てた娘も、いづれ去ってしまうのか……恨めしいことだ」と申されました。
玉鬘は、「今さら、実の親を探しなどしましょうか……」とお答え申しましたが、心の中では、「たとえ実の親でも、こんなにまで愛情をかけては下さらないでしょうから……
せめて何とか真の父親(内大臣)に娘だと知っていただくことは難しいことか……」と、悲しくお思いなのでございました。
源氏の君はますます玉鬘を愛しくお思いになりまして、紫上にも、
「不思議に、人の心を惹きつける姫君のようです」等とお話しになりましたが、
ご自分には、道外れた良からぬことをする御癖があることも、よくご存知でございました。
雨が少し降って、お庭の楓が青々と美しい夕方、源氏の君が玉鬘のところにおいでになりました。
姫君のもの柔らかな感じが、昔の夕顔を思い出させ、堪えきれなくなり、
「貴女を夕顔と間違える時があります。
今こうしてお世話できるのは、まるで夢のようで……」と、いきなり手を握りなさいました。
玉鬘はとても不快にお思いになり、うつ臥してしまいました。源氏の君にはそのお姿さえも、大層魅力的に見え、ぶるぶる震えている様子に、
「そんなに嫌わないでください。このように深い愛情がある人は、私の他にはいないでしょうから……」と仰いました。姫君が涙をこぼされましたので、
ご自分の軽率な行為を反省なさいまして、夜のあまり更けぬうちにお帰りになりました。
兵部卿宮や鬚黒大将などは、更に熱心に玉鬘に想いを寄せておられました。
あの中将も、玉鬘と姉弟とは思いもよらず、ただ一途に恋心を訴えておられるのでございました。
(終)