紫式部 源氏物語 蜻 蛉(かげろう)ー第五十二帖

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宇治の山荘では、浮舟のお姿が見えないので大騒ぎをしていました。

何処に行かれたのか見当もつかず、よく事情を知っている者だけが、ひどく物思いなさっていた様子を思い出して「もしや身投げでもなさったのでは……」と思い当たるのでした。

匂宮は、お手紙に書かれた様子がいつもと違うので、
「私を愛していながら、浮気な心と疑って身を隠したのだろうか……」と、供人を宇治へ遣わせなさいました。

御邸に着きますと、「姫君が急に亡くなられ……」と誰もが途方にくれて悲しんでおりました。

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侍従が出てきて、
「姫君は、大将殿の仰る所へ引っ越す準備をしております一方で、匂宮様とのご関係を知られたくない……と気遣っておられました。大層御心も乱れたのでしょう。

ご自分から身をお亡くしになったようでございます。このまま世間に事情を知らぬまま、ご葬儀を済ませるべく……。

少し落ち着いて、忌むべき期間が過ぎましたら、そのご様子などをお話し申しましょう……」として、ひとまず供人を帰らせました。

強い雨の中、大層隠れて母君がおいでになりました。浮舟が物思いなさっていた事など全く知りませんので、身投げとは思いもよらず、大層取り乱しておりました。

侍従は、最後に書かれた手紙を硯の下に見つけて、荒々しく流れる川の方を見やりながら、一層悲しく思っておりました。

亡くなられたことを、世間があれこれ噂するのもお気の毒なこと……と、乳母等と相談して、
「ご遺体のないまま幾日もたったら、この川に身を投げたことを隠し仰せないでしょう。

今はまず、世間を取り繕うためにも、このままご葬儀を……」と、供人に御車を寄せさせ、浮舟の御座所や調度類などを積みこませました。

大夫や内舎人などが、「ご葬送の事は、薫大将に事情を申し上げて、厳やかにお勤め申し上げるのがよいでしょう」と申しましたが、

「いぇ、直ぐに今夜のうちにも……忍んで弔わねばならない理由がありますので……」と、この御車を向かいの山の野原に行かせ、人も近寄せずに、

事情を知っている法師たちだけで火葬させなさいました。すべては誠にあっけなく煙となって消えていきました。

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その頃、薫大将は、母入道の宮(女三宮)がご病気になられましたので、平癒祈願のため石山寺におられました。荘園の者が参上して、浮舟が亡くなられたことをお伝え申しますと、大層驚ろかれ、

「何としたことか……あの山里には鬼でも住んでいるのか。どうしてそんな侘びしい土地に、姫君を放っておいたのであろう……」と悔やまれてなりません。

京に戻られても宮の御方にもお渡りにならず、儚(はかな)い無常の世をお嘆きになり、勤行ばかりなさいました。

一方、匂宮は何も考えることが出来ず、正気もないままに、周囲の者にはただ病に伏しているとして、自室に閉じ籠もってしまわれました。

薫大将には不審に思えることが多いので、急いで宇治にお出かけなさいました。

道すがら、昔のことを一つ一つ思い出しながら、「どのような縁で、父親王(八宮)のお側に通い始めのだったろう。

こうして思いがけなく姫君の最期までお世話することになり、このご一族には物思いの尽きないことだった……」としみじみ振り返りなさいました。

宇治に着き、まず右近をお呼びになり、浮舟の最期のご様子をお尋ねになりました。

「山荘で暮らした頃は、物思いばかりなさっておいででしたが、稀にお越しになる大将殿を心からお慕いしておられました。

母君も皆も念願叶って、殿のお側にお移りになる準備をしていましたのに……。

突然、大将殿から「心変わりしたのか……」と納得できないお手紙を頂きましてからは、大層ご自分を責め、お嘆きになりまして……」

「いずれ京に迎えて、末長く添い遂げたいと思っていました。

はやる気持を抑えながら過ごしていたのだが、それを『冷淡だ』とお思いになったのか……。

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匂宮を愛しい方と思いながらも、この私をも大切に思い、どうしてよいのか分からなくなられたのか……激しい川音に誘われて、思いついたのであろう。

私がここに放ってさえおかなければ、身投げなどしなかったろうに……」と悔やまれ、この川が疎ましく、この山里の名を聞くことさえ耐え難く思われました。

大層茂った木の根の苔の上にお座りになり、辺りを見回して「もうこの山荘に来ることもないだろう……」と呟かれ、

我もまた憂き古里を荒れ果てば 誰れ宿り木の影を偲ばむ

(訳)私もまた辛い古里を離れたら、誰がこの荒れ果てた宿を思い出すであろうか……

四十九日の法要も過ぎ、どの方にとっても、亡き浮舟のことは悲しいことでございました。

けれども浮気心をお持ちの匂宮は、この悲しみから慰められようかと、他の女に言い寄るなどなさいました。

一方、薫大将はあれこれ気遣いなさって、残された人々のお世話などをなさいましたが、やはり亡き人のことを忘れ難く思われるのでした。

内裏には薫大将が大層忍んで親しくなさっている小宰相(こさいしょう)の君という女房がおりました。

美しげで気立ても良く、風情を解する女性でした。

大将が物思いに沈んでおられるのを知って、思い余って手紙をお送り申し上げました。

「お悲しみを知り、亡くなった方と入れ替われるものならば……」とありました。

大将にとっては、とても悲しい時でしたのでひとしお心打たれ、
「亡き人より奥ゆかしい感じがする。この女を私の側に置いたらよかったのに……」と

お思いになりましたが、そんな素振りは少しもお見せになりませんでした。

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蓮の花の盛りに、六条院で法華八講が催されました。故院(源氏の君)と紫上の御ために、御経や御仏などを供養なさいました。

五日の朝座で終わり、薫大将は直衣に着替えて、小宰相の君に逢いに釣殿の方に行かれました。
すると襖障子が細く開いていました。

そっと中を覗きますと、数人の女達が氷を割ろうと騒いでおりました。

その中に、白い羅(うすもの)を着て、微笑んでいらっしゃる可愛らしい姫宮がおられました。

側にいた小宰相の君が、氷を紙に包んで差し上げますと、美しい手をお出しになって、
「いゃ、持てません。雫が……」と仰る声がとても愛らしく聞こえました。

大将は、「私を苦しませるための神仏の計らいであろうか……」と心落ち着かず、それでも思わずじっと見つめてしまいました。

翌朝、薫大将は宮(妻・女二宮)の姿を眺めて、「この宮よりも、昨日の姫宮(女一宮)は優れていらっしゃるのだろうか。

大層上品で美しい方だった……」と思い返し、昨日の様子と同じように、氷を取り寄せてひとかけらを手にとり、宮にお渡しなさいました。

そして、「この宮は、姉妹という心を慰めるには相応しい人と思えるのに……、昨日の姫宮には少しも似ていない……」と溜息を漏らしなさいました。

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あの姫宮の筆跡を見たい……とお思いになって、姉宮にお手紙を差し上げたことがあるのかと尋ねなさいますと、

「随分長くありません。私が嫁いで身分が低くなったからと、 軽んじておいでのようで、こちらからは遠慮しております……」と申されました。

「では私から、中宮(姫宮の母)にお話ししてみましょう……」

その後しばらくして、姉宮からお手紙がありました。

大層美しいご筆跡に薫大将は何よりも嬉しく思われ、もっと早く見る機会があったなら……と心乱れるようでしたが、

「この想いが世間に知れ渡ったら、煩わしいことになるだろう。宇治の大君が生きておられたら、他の女に心乱れる事などなかったろうに……。

浮舟のことにしても全てわが心が世間ずれしてないことから生まれた過ちだった……」と思い直しなさいました。

宇治の御邸にお仕えしていた女房たちは皆、散り散りになってしまいました。

侍従は京でみすぼらしい暮らしをしておりましたが、大将がこれを探し出して、二条院に仕えさせることになさいました。

高貴な姫君が大勢おいでになる御邸でさえも、亡くなられた浮舟に勝る美しい人はいないようでした。

今年の春、亡き式部卿の宮(源氏の弟)の姫君を、継母・北の方がつまらぬ右馬頭に嫁がせようとしている事をお聞きになり、

「故父宮が大層可愛がられた姫宮を、つまらない者にしてしまうとは……」と、二条院に迎え取りなさいました。

皆からは宮の君と呼ばれ宮仕えなさいますのは、大層お気の毒なことでございました。

最近はまた、匂宮の浮気心が騒いで、この宮の君に心惹かれ、つきまとっておられました。

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秋冷の頃、ここ二条院には皆が集っておりました。池の風情が素晴らしく、月を愛で、管弦の遊びなどが絶えず催されました。

匂宮や薫大将もおいでになりました。

眩いばかりに美しいお二人の姿を、あの侍従が拝見し、
「亡き浮舟が、どちらの方なりとも縁づいて、この世に生きておられたら、

どんなにかお幸せになられたでしょうに……」と、ひとり悲しく胸を痛めておりました。

薫大将は先日のように、西の渡殿においでになりました。けれども姉宮は、夜は内裏にお渡りになり、おられません。月が大層美しく、箏の琴が趣き深く聞こえてきます。

大将は、宮の君のお部屋がこちらにあることを思い出して、お立ち寄りになりました。

「昔の宿縁を思い、人知れず好意をお寄せしておりました」と申しなさいますと、
「昔を知る人もいないと思っていましたのに、昔からのご縁などと仰いますことを、頼もしく嬉しく存じます……」と仰る声が、誠に若々しく愛嬌がありました。

「この方は、また匂宮の御心をかき乱すことになるに違いない。
それにしても、あの宇治の山里に育った姫君たちは、慕わしかったなぁ……。

あの儚く亡くなった浮舟も忘れがたく……」と、何事につけても、あの一族のことが思い出されるようでございました。

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蜻蛉(かげろう)が頼りなさそうに、飛び交っているのをご覧になって、

ありと見て手にはとられず 見ればまた行方も知らず消えし蜻蛉

(訳)そこにいると見ても、手に取ることができず 見えたと思うとまた
行く方も知れず消えてしまった……蜻蛉のような貴女(浮舟)よ。

いつものように、そう独り言を仰ったとか……

( 終 )

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