もくじ
発酵食品の裏にある「危機」に貴方は気づいていますか?
発酵食品はどこから来たのか?
発酵食品は、日本の専売特許というわけではないようです。日本には、中国からその技術が伝えられた可能性が高い。(王仁湘著、鈴木博訳、原書房)によれば、中国には日本酒の特徴とされる、麹と酵母による二段構えの並行複発酵の歴史があるからだ。漬物文化も発達している。
また、最近すっかり定着したナンプラーなどの魚醤文化は、東南アジア各地にある。古代ローマでもガルムと呼ばれた魚醤があり、イタリアには今でも魚醤文化がある。漁業が活発な沿岸地域で、魚介類を使った魚醤が発達するのは自然なことと言える。だからもちろん、島国日本にも、秋田のしょっつるなどの魚醤がある。
納豆は日本だけでなく、東南アジアの山間部にもある。ノンフィクション作家の高野秀行さんの調査によれば、アフリカにも納豆文化がある。
ヨーロッパや中東地域で発達したパンやチーズ、ヨーグルトも、発酵食品だ。もちろん酒も世界中にある。そんな中で、日本が発酵文化を特に誇りにするのは、その多様性と独自の歴史、そして毎日の食事のベースになるほど、生活に深く入り込んでいるせいかもしれない。
何しろ、日本の料理は発酵食品味である。味噌汁は味噌を使う。豆腐やお浸し、炒めものなど、多彩に活躍する醤油もある。保存食として活躍してきた漬物も、発酵食品。酢も料理酒も発酵食品である。和食の献立では、必ず何かしらの発酵食品を口にすることになる。
また、室町時代にはすでに、酒造りのための麹を専門的に育成する種麹屋が定着していた。種麹屋は、カビの麹を何種類も育成する、ある意味で家畜業だ。顕微鏡すらなかった数百年も前に、微生物のカビをどのように管理していたのだろうか。
もともと、蒸したコメに生やして増やしていたようだが、それだけでは「不安定で、他のカビや乳酸菌が混入して酒造りに失敗することも多かったと考えられる」と思います。
和食の衰退が発酵文化も衰退させた
やがて、種麹屋は酒だけでなく、味噌や醤油の製造業者にも専用の麹を供給するようになっていく。現在でも、多くの蔵は種麹屋が製造した麹を買って使う。そうした産業が何百年も続いているのは、それだけ日本の食生活に麹が不可欠だったからだ。
しかし、現代では食の多様化で和食の存在感が小さくなり、発酵食品の使用も減少している。総務省の「家計調査」で一世帯当たりの醤油にかける支出金額が、たれ・つゆに抜かれたのは1994年のこと。味噌も消費が減っている。私が年に1回通う味噌作り教室では、わずか3.5キロの前年に仕込んだ味噌を使いきれなかった、と休む人がいる。
漬物も「食べない」という人が多く、白菜漬けなどの従来の漬物の消費は減少傾向にある。それは、半世紀以上もコメの消費が減り続けることと無関係ではない。つまり、和食の衰退が発酵文化も衰退させているのだ。
発酵ブームは、そうした衰退があったからこそ、起こったと言える。漬物が日々の食卓に並び、醤油味や味噌味の料理を毎日食べる生活ではなくなったからこそ、改めて発酵食品が注目されるようになったのである。当たり前に食べていれば、ブームになどならない。醸造蔵も減っているからこそ、貴重な場として再発見された。
コロナ禍で見直されたもの
こうした発酵食品が改めて見直されるのは、コロナ禍ということが大きいのではないか。
困ったとき、苦しいときには、原点に立ち戻って考えると、人は再起できることが多い。それは社会全体としても言えるのだろう。東日本大震災、コロナ禍と、危機のたびに発酵食品が見直されるのは、それが日本の食文化の核だからでもあるのではないだろうか。
そして、ブームになるたび、新しい現代人の好みに合った発酵食が紹介される。やがて伝統的な発酵食品の新しい活用の仕方も、広まるかもしれない。昔ながらの食べものを、昔と同じように食べなければいけないわけではない。味噌汁の具材だって、豆腐やネギなど定番のものだけとは限らない。
個人的には、トマト入りの味噌汁がお気に入りだ。新しい食べ方が広まれば、古い文化も復興する。発酵をフィーチャーする観光地ができるのも、同じことだ。このようにバージョンアップすることで、発酵文化は復興していくのではないだろうか。