源氏物語 下 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集 全30巻) [ 角田 光代 ] – 楽天ブックス
「宇治十帖 」ここからは、宇治を舞台に語られる薫の恋物語です。
その頃、世間から忘れられた古宮がおられました。
特別の地位につくべき方でしたが、御威勢も衰えて、政界から退かれ、孤立してしまわれました。北の方も高貴な姫君でしたが、
世の中悲しい事が多くなり、深い夫婦仲を慰めにひっそり暮らしておられました。
やがて可愛い女の御子がお生まれになり、続いてまた女の子を出産なさいましたが、大層衰弱なさいまして、遂に亡くなられました。
宮は悲しまれ出家をお考えになりましたが、幼い姫君たちを残していくことを躊躇い、思い留まりなさいました。
年月が経つにつれ、姫君は大層美しく気品があり、誠に愛らしくなられました。
父宮は大切にお育てになりましたが、年月とともに宮邸も段々と寂しくなり、仕えていた女房たちも 姫君を見捨てて去って行きました。
御庭の優雅な池や築山などが、ひどく荒れてゆくのを眺めながら、宮はますます心細くなられ、頼りにする人もないままに、明け暮れただ勤行をお勤めになりました。
世の中から離れて、心だけは聖になられ、御念誦の合間には、姫君たちに琴や琵琶などをお教えになりました。幼い姫君は大層才気があり、誠に愛らしく成長なさいました。
この古宮は、源氏の君の弟(桐壺院の八宮(はちのみや))でおられましたが、朱雀院の大后の企てによる騒動があり、総てから遠ざけられてしまいました。
その後宮邸が焼失して、山々を隔てた宇治にある侘びしい山荘にお移りになりました。それからというもの、世の中を捨てて山奥に籠もってしまわれたのでございます。
この宇治山に世間でも評判の聖めいた阿闍梨(あじゃり)が住んでいました。八宮が宇治にお住まいと知って、その山荘をお訪ねになり、仏典を説き、親しくお話などなさいました。
この阿闍梨は冷泉院にも伺候しておられました。
院の御前にて「八宮が教典に深く通じておられ、お考えが悟り澄ましておられます……」とお話し申し上げますと、
宰相中将(さいしょうのちゅうじょう)(薫)も そこにおられまして、お互いに手紙などを交わすようになられました。
ある日、宰相中将が宇治をお訪ねになりました。なるほど八宮の山荘は誠に粗末で、荒々しく水音が響き、風が激しく吹きつけておりました。
薫中将は山籠もり修行をする意義や仏典などをお聞きになり、有意義な時間を過ごされました。それからは度々、山荘においでになり、やがて三年程が経ちました。
秋の末頃、八宮は阿闍梨の御堂に籠もられ、七日程勤行をなさいました。
中将は有明の月が差し出した頃に、宇治に出立なさいました。山深く入るにつれて霧が深くなり、生い茂った木々を踏み分けて、
宮の山荘の近くまで来られますと、琵琶の清らかな音色が、箏の琴に掻き合わせて、しみじみ聞こえてきました。
透垣の戸を少し押し開けてそっとご覧になりますと、美しい月を眺めながら、姫君たちが座っておりました。
琵琶を弾いている姫君が見えました。雲に隠れていた月が急に明るく差し出し、大層可愛らしく艶々したお顔が見えました。
琴の前にいるもう一人の姫君は、少し落ち着いて優雅な感じがしました。
薫中将は「何と美しい……宇治の橋姫のようだ。こんな山奥に、人の心を打つような隠れたことがあるのか」と心惹かれておられました。
曙の頃に、ようやく山荘に着かれました。薫中将の狩衣姿は大層露に濡れてしまいましたのに、不思議なまでに素晴らしい薫りに満ちあふれておりました。
御簾の前に歩み寄ってお座りになりますと、年老いた女房がでてきました。この女房は大層涙もろく、しみじみと昔話などを申し上げました。
「昔、故権大納言(柏木)の乳母だった人が、最期に遺言したことがありますが……」と言い止めた時、遠くで微かに寺の鐘の音が聞こえました。
霧が更に深く立ちこめてきましたので、薫中将は仕方なく帰路につかれましたが、あの姫君たちのことが大層心残りに思われ、更に老女房の話が大層心にかかっておられました。
十月になり、再び宇治へ行かれました。八宮は大層お喜びになり、山里に相応しい趣きあるお持てなしをなさいました。
明け方近くになった頃、薫中将は、「以前霧の深い夜明けに、大層美しい楽の音を聞きました。今一度聞きたく存じます」と申されますと、
八宮は、奥の姫君に琴を弾くように促しなさいました。
けれども「まだ未熟で……」と引き篭もってしまわれましたので、誠に残念に思われました。
八宮が払暁の勤行をなさる間に、先日の老女房(弁の君)にお逢いになりました。
「故大納言の君(柏木)が、遂にご臨終になられました折、わずかにご遺言がございました。
……実はご覧に入れたい物がございます」と、微かに香のある袋に縫い込まれた古い手紙を差し出しました。
中将はさりげなくこれを受取り、退出なさいました。
京に戻られ、袋の中ををご覧になりますと、女君と通わした手紙のようで……まさしくあの方(柏木)の筆跡でございました。
「臨終近くになり、何としても姫宮にお逢いしたい。ご懐妊という御子は、我が子と見ましょう。生き永らえるならば、その岩根に残した松の成長ぶりを ……」等と書かれていました。
「まさか……このようなことがあったとは……」胸も潰れる思いがなさいました。
薫中将が母宮(女三宮)の御前に参上されますと、母宮はまったく無心に若々しい様子で、読経しておいでになりました。
「わが出生の秘密を知ってしまったことを、どうして気付かせ申そうか……
( 終 )