現代語版 源氏物語一覧

紫式部 源氏物語 夢浮橋(ゆめのうきはし)ー第五十四帖

薫大将は比叡山にお着きになり、御経や仏像等の供養をさせなさいました。その翌日横川にあの僧都をお訪ねになりました。 「わざわざこんな山深く、よくおいで下さいました……」と、僧都は大層恐縮して、お迎え申し上げました。 周囲の人々が静かになりました頃、大将は小さな声で、「小野に身を隠している女に、戒律をお授けになったと聞きましたが、本当ですか。まだ年も若く、親などもいた人で、私がよく知る人なのですが、行方知れずになり、死なせたように恨み申す人がいますので、確かめたく思いまして……」と申されました。

紫式部 源氏物語 手 習 (てならい)ー 第五十三帖

その頃、横川に尊い僧都が住んでおられました。八十歳過ぎの母と妹の尼君を伴って、初瀬観音の参詣に出かけたその途中で、母君の気分が悪くなられましたので、宇治院の辺りで泊ることになりました。 院の寝殿はひどく荒れていましたので、僧都はまず読経をするように大徳たちに仰いまして、法師に松明を持たせて建物の後ろに行きました。森のように茂った木の下に、何か白い物が広がっています。「あれは何だ。狐が化けたか……」と近寄りますと、黒髪の長く美しい若い女のようです。

紫式部 源氏物語 蜻 蛉(かげろう)ー第五十二帖

宇治の山荘では、浮舟のお姿が見えないので大騒ぎをしていました。何処に行かれたのか見当もつかず、よく事情を知っている者だけが、ひどく物思いなさっていた様子を思い出して「もしや身投げでもなさったのでは……」と思い当たるのでした。は、お手紙に書かれた様子がいつもと違うので、「私を愛していながら、浮気な心と疑って身を隠したのだろうか……」と、供人を宇治へ遣わせなさいました。御邸に着きますと、「姫君が急に亡くなられ……」と誰もが途方にくれて悲しんでおりました。

紫式部 源氏物語 東 屋(あずまや)ー第五十帖

常陸介(ひたちのすけ)には、亡くなられた北の方との間に子供が大勢おりました。今の母腹にも数人おりましたが、この常陸介は連れ子を思い隔てる心がありますので、母君(中将の君)は恨みに思いながら子供達を育てておりました。その中でも姫君(浮舟)は大層気品があり美しくいらっしゃいました。桐壺院の八宮(はちのみや)が娘と認めて下さらなかったために、父のない子として世間から冷たく扱われましたので、「この姫君の将来こそお幸せに……」と強く願っておりました。

紫式部 源氏物語 宿 木(やどりぎ)ー第四十九帖

その頃、藤壺にお住まいの女御(にょうご)は、まだ帝が東宮の時に誰よりも先に入内(じゅだい)されましたので、帝のご寵愛は格別でございました。明石中宮に大勢の御子がお生まれになりましたのに、この女御にはただ一人の女宮しかおられません。けれども帝はこの女二宮(おんなにのみや)をとても大切になさいますので、華やかに趣き深くお暮らしでございました。

源氏物語 早 蕨(さわらび)ー第四十八帖

宇治の山里にも春がやってきましたが、中君は悲しみに暮れておられました。花や鳥の声につけても、この世の悲しさを大君と語り合ってこそ慰められることもありましたが、聞き知る人もいない今は、ただ心細く、総てが真っ暗闇に感じられました。阿闍梨のもとから、蕨(わらび)や土筆(つくし)などが入った籠が届きました。

紫式部 源氏物語 総 角(あげまき)ー第四十七帖

山里では耳馴れた川風も、この秋は特に悲しく聞こえます。薫中納言は阿闍梨と共に、八宮の一周忌法要のご準備をなさいました。 薫中納言が山荘をお見舞いなさいますと、御簾の隙間から名香の糸を結んだ糸繰台が見え、「涙を玉にして、糸を通して……」と、誰かが口ずさんでいるのが聞こえました。

紫式部 源氏物語 椎 本(しいがもと)ー第四十六帖

如月の頃、匂兵部卿のご一行は、初瀬観音に参詣に行かれました。その帰りに、宇治にある右大殿(夕霧)の別荘にお立ち寄りなさいました。宮は馴れない遠出に少しお疲れになりましたので、管弦の遊びなどなさりながら ゆっくりお過ごしになりました。 山里では美しい楽の音も一層澄み渡り、対岸のあの山荘にも聞こえてきました。八宮には昔が思い出されて、 「美しい笛の音……誰だろう。六条院は大層風情があり、愛嬌のある音をお吹きになりましたけれど、これは澄み上がって気品がある……致仕の大臣の御一族の笛に似ているようだ……」などと独り言を仰いました。

紫式部 源氏物語 橋 娘(はしむすめ)ー第四十五帖

「宇治十帖 」ここからは、宇治を舞台に語られる薫の恋物語です。 その頃、世間から忘れられた古宮がおられました。特別の地位につくべき方でしたが、御威勢も衰えて、政界から退かれ、孤立してしまわれました。北の方も高貴な姫君でしたが、世の中悲しい事が多くなり、深い夫婦仲を慰めにひっそり暮らしておられました。

紫式部 源氏物語 竹 河(たけかわ)ー第四十四帖

これは関白太政大臣(もと鬚黒大将)の家の物語。 源氏の君が亡くなられた後は、世の有様がすっかり変わってしまいました。六条院では、尚侍(ないしのかみ)(玉鬘)のご相続についても、源氏の君の娘分としてお扱いになりましたので、今は大層優雅にお暮らしでございました。玉鬘のお生みになった御子は男三人、女二人。大切にお育てになっておられますうちに、鬚黒の大将はあっけなく亡くなられました。

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