紫式部 源氏物語 東 屋(あずまや)ー第五十帖

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源氏物語 姫君、若紫の語るお話 (10歳までに読みたい日本名作 12) [ 紫式部 ] - 楽天ブックス
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常陸介(ひたちのすけ)には、亡くなられた北の方との間に子供が大勢おりました。

今の母腹にも数人おりましたが、この常陸介は連れ子を思い隔てる心がありますので、母君(中将の君)は恨みに思いながら子供達を育てておりました。

その中でも姫君(浮舟)は大層気品があり美しくいらっしゃいました。

桐壺院の八宮(はちのみや)が娘と認めて下さらなかったために、父のない子として世間から冷たく扱われましたので、「この姫君の将来こそお幸せに……」と強く願っておりました。

常陸介は上達部(かんだちめ)の血筋を引いて財力などがありましたので、身分相応に気位も高く、御邸も輝くほど立派でした。

その御威勢にまかせて、自分の娘を素晴らしいかのように言い繕(つくろ)っていましたので、大勢の男達が熱心に言い寄ってきました。

その中に二十二、三歳で、左近少将(さこんのしょうしょう)という落ち着いて学問があると評判の男がおりました。

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母君は、
「この男なら無難で分別もありそうだ。適当な折にわが姫君の婿に迎えよう」と決め、仲人を呼んで話を進めさせました。この仲人が、

「常陸介には若い娘が大勢いますが、その姫君は連れ子のため将来が不安で……」と申しましたので、急に少将のご機嫌が悪くなり、

「実の娘でないのか……。父親のない娘を迎えれば、世間の物笑いになることだろう。何とかあの家との縁組みを願っているだけで……」と申しました。

「では妹にあたる娘がよいでしょう。常陸介も大切に可愛がっておられますので……」

これを聞いて、母君は驚き呆れて、しばらく思い沈んでしまいました。傍らの乳母(めのと)に、「嫌なものは人の心でございます。

命に代えてもこの縁談を……と思っていましたのに、まだ成人してもいない妹に乗り換えるとは……」と泣きながら申しました。

乳母も、「こうなれば大切な姫君は、思慮深く道理の分かる方に差し上げることにいたしましょう。

先日内裏で、薫大将殿をちらっと拝見しましたが、本当に寿命が延びるような素晴らしい方でした。

ご運勢にまかせて、弁の尼君の仰るように、大将殿に差し上げることを決めなさいませ……」と申しました。

常陸介が実娘の結婚の準備をしている間に、母君は、匂宮の北の方(宇治の中君(なかのきみ))にお手紙を書きました。

「慎まねばならない事がございまして、人目につかない所に住み家を変えさせたいと存じます」と涙ながらに訴えました。

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中君は、「亡き父君(八宮)がお認めにならなかった姫君が、世の中に落ちぶれているのもおいたわしいこと。

ここの西の対に人目につかない部屋を用意しますので、暫くそこでお過ごしになってはいかがでしょう」とお返事なさいました。

こうしてその姫君は美しい二条院の西の対にお移りになりました。

ある日、薫大将が二条院においでになりました。いつものように御几帳を整えて、中君はお逢いになり、とても親しくお話しなさいました。

今も亡き大君が忘れられず、世の中がますます辛いと訴えなさいますので、

「今、父宮が残されたもうひとりの姫君が、人目を忍んでこちらにおります……」と、それとなく申し上げました。

薫大将は大層興味がおありのようでしたけれども、心移りするご様子はありませんでした。

その母君が物陰から薫大将殿のお姿を見ておりました。

「まぁ、何とご立派で美しい方でしょう。例え年に一度の逢瀬でも、この方にお通いいただけるのなら、それは素晴らしいこと。今後は理想を高く持つことにしよう……」と、姫君の将来をなお思い続けておりました。

その後、内裏の侍所に控えている供人の中に、左近少将の姿を見ましたが、この少将を無難と思えたことでさえも、今は馬鹿らしく思えました。

母君は、「薫大将殿のお姿を拝見いたしました。たとえ下仕えの身分であっても、この方の身近にお仕えできますことは、生き甲斐のあることでございましょう。

『何とか姫君を探し出して逢いたい……』という薫大将殿のお気持を弁の尼君から伺いまして、今はしみじみと有り難く存じます。

この姫君をひたすらお任せしますので、お見捨てにならずに、お世話くださいますように……」と言い置いて、自邸に帰っていきました。

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夕方、匂宮がこちらにお渡りになりましたが、中君は洗髪をしておられました。

御前には女房達も少なく、宮は手持ち無沙汰で、ぶらぶらと西の対においでになりますと、いつもと違った童女が見えました。

「新入りか……」と、襖障子が細めに開いている所からお覗きになりますと、紫苑色の華やかな袿に、女郎花(おみなえし)の表着を重ねた美しい姫君の姿が見えました。

「新参者か……かなりの身分のようだが……」と障子を静かに押し開け、そっと歩み寄りなさいました。あたりは人少なで……誰も気付きません。

渡廊の壺前栽が美しく咲き乱れ、遣水の石の辺りに大層風情がありますので、姫君は端近くに伏せて眺めておいでになりました。

まさか匂宮が来られたとは思いもよらず、起きあがった姫君は誠に美しくいらっしゃいました。

匂宮は例の好色な御癖を抑えきれずに、姫君の衣の裾を捉えて襖を閉め添い臥しなさいました。

香ばしい薫りが周囲に広がり「もしや、薫大将か……」と恥ずかしそうになさるご様子は、とても愛らしく魅力的でした。

乳母はいつもと違う気配に気付いて、屏風を押し開け、その部屋に入ってきました。

それでも匂宮は「お名前を伺わないうちは、お放ししません」と馴れ馴れしく傍らに臥せなさいますので、乳母は「まさか匂宮が言い寄るとは……」と驚きました。

けれどやんごとない方のお戯れには、どうすることもできませんでした。

その時、内裏から使者が参上し「大宮が大層重態におなりでございます。

直ぐに戻られますように……」と申しました。匂宮は仕方もなく、内裏にお帰りになりました。

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中君はこれを聞いて、姫君をお慰めしようと、絵などを取り出させて、右近に詞書きなどを読ませなさいました。

熱心にお聞きになっているお姿が、亡き大君かと思われますので「父宮によく似て……」と涙ぐまれました。

故父宮のお話などをなさり、姉心のように世話をやかれまして、暁方近く、横に寝かせてお寝すみになりました。

この出来事を耳にした母君が、驚き慌てて参上されました。方違えの場所として、三条に小さな家を準備していましたので、そちらに姫君をお移しすることになりました。

その侘び住まいはまだ未完成で、庭の草も鬱陶しく、前栽に花も咲いていません。

「もし不都合なことが起きたら、物笑いになりましょうから、粗末な家だけれどそちらに身を隠しておいでなさい。そのうち何とかいたしましょう……」と慰めました。

姫君は大層お泣きになり、とてもお気の毒でございました。

秋が深まる頃、御堂が完成しましたので、薫大将は宇治へお出かけになりました。
久し振りに弁の尼君の所にお立ち寄りなさいますと、几帳に隠れて、尼君はただお泣きになりました。

「先日、母君からお手紙がきました。故八宮のもうひとりの姫君は、方違えをすると言って、粗末な小屋に隠れているようです……」とお話し申し上げますと、

「どれほどの前世からの宿縁か……しみじみお気の毒なことです……」と涙ぐまれ、
「明後日、御車を差し向けますので、その仮住まいを訪ねてください」と仰いました。

当日、早朝に弁の尼は御車に乗りました。三条の隠れ家に着きますと、そこは人の出入りもなく、ただひっそりとしていました。

「薫大将殿が不思議なまでにお頼みになりますので、こうしてお訪ねいたしました」と申し上げ、「お姿をお目かけして後は、思い出さない時もなく……」と

仰る薫大将の言葉もお伝えしました。姫君も乳母も、大層嬉しく聞いておりました。

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宵を少し過ぎた頃、門を叩く音がしましたので、弁の尼が開けさせますと、雨が降り注ぎ、風が冷たく吹き込んできますのに、何ともいえない薫りが漂ってきました。

「大将殿がお越しになったようです……」と皆が心をときめかせました。

雨にすっかり濡れておられますのに、そのお姿は大層素晴らしく見えました。

簀の子の端の方にお座りになって、空を眺めながら、

さしとむる葎(むぐら)やしげき東屋の  あまりほど降る雨そそぎかな

(訳)戸口を閉ざすほど葎が茂る東屋で、長く待たされ雨に濡れているよ……

「思いがけず姫君のお姿を覗き見してから、とても恋しく思っておりました。こうなる運命にあったのかと、不思議なまでにお慕いしております……」

姫君はおっとりして見劣りもせず、大層優美に愛らしくいらっしゃいました。

夜が明ける頃に、薫大将は供人を呼んで御車を妻戸に寄せさせ、姫君を抱き上げてお乗せになりました。誰もが慌てて「どうなさいますのか……」と嘆きましたが、

「薫大将殿にお考えのことがあるのでしょう。不安に思うことはありません……」と、尼君がお慰め申しました。

御車は宇治へ向かうようでした。加茂の河原を過ぎ、法性寺の付近をお通りになる頃には、すっかり夜が明けてしまいました。

姫君は何も考えられずうつ伏していらっしゃいますので、薫大将はしっかり抱いておられました。けれども山深く入るにつれて、薫君の心中は亡き大君への恋しさが募っていくようでした。

やがて宇治にお着きになりました。姫君は心細くおられましたが、薫大将が愛情深くお話しになりますので、大層慰められて御車を降りました。

周囲の山々の景色も寂しく、道中は草が生い茂っていましたけれど、その建物の造りは晴れ晴れとして、日頃の憂さも慰められるほどに素晴らしくございました。

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薫大将は、
「この姫君を、どのように扱ったらよいのだろう。今すぐに自邸に迎え入れるのも、外聞が良くないだろうから、しばらくはここに隠しておこうか……」と思い巡らし、

逢えない日は寂しかろう……と、この日は一晩中お相手をなさいました。

和琴や箏の琴を取り出し、優しく弄(もてあそ)びながら思いに耽っておられましすと、やがて
美しい月がでてきました。

「昔、八宮はとても美しい音色でお弾きになりました。皆が生きておられた時に、貴女もここで大きくなられたら、一層感慨深かったでしょう……」としみじみ仰いました。

白い扇を持って、姫君はとても愛らしく添い伏していらっしゃいました。
それなのに……薫大将の御心は、亡き大君を思い出しておられたのでございます。

( 終 )

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