「頭のいい子」を育てるために親が「やらないほうがいい」ものとは!?

「頭のいい子」を育てるやめに親が「やらないほうがいい」ものとは!?

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東大教授が「やらないほうがいい」と親たちに伝えたいこと

混迷を極めるいまの時代、勝ち残るには様々な能力が必要です。しかし、親はときに子どもへ理想を押し付け、無理をさせてしまいがちです。

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楽観的に物事を考えることも、時代を乗り切る知恵です

今の日本の教育環境では、その学年で示された学習指導要領を1年間ですべて終え、生徒は学習指導要領の内容を、しっかりと理解することを望まれます。

うまく理解できない場合、「勉強についていけていない」と、保護者も子どもも心配します。

もちろん、学習についていけないことは問題なので、多くの方は親が教える、塾に行く、先生に相談するなどして、なんとかついていこうと努力します。

ところが、アメリカの場合は、あっけらかんと、「今年度の授業についていけないので留年して、もう1年しっかり勉強します」と決める生徒や保護者もいるのです。

「わからないまま進級しても、その先も理解できなくなる。義務教育期間の子どもは学習内容を理解できるように教えてもらえる権利がある」という判断です。

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そんなことはなかなか日本ではできない、というのは当然ですし、そうしなさいと言っているわけではありません。しかし、2020年の3月からの1年間は、特殊なのです。

この1年間に起こることに、あまり思い悩まないほうがいい、というのが私の意見です。

日本人は、年齢によるスケジュール感が非常に明確で、「12歳になったら小学校を卒業して中学校に行く」というスケジュールをあえて変える人はほぼいません。

けれど、「アクシデントがあれば、留年してもいい、休学してもいい」。あるいは、「理解が浅いまま進級したってしょうがない」。

こんなふうに開き直れば、少しラクになるのではないでしょうか。

小さい頃、病弱だった私は6歳での小学校の就学を延期して7歳で入学しました。

日本では大学を卒業すると、すぐに就職するため、就職活動にもシビアに取り組みます。

どうしてもどこかに就職しなければいけないと思うので、ともすると意に添わない就職先でもあきらめる、ということが起こります。

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しかし、アメリカでは、「大学を卒業したらバックパッカーになって世界中を見てやろう」と、世界に飛び出す若者もいます。「就職は、世界を見てからでいい」と。

今の日本では、なかなか勇気が必要な行為かもしれませんが、そのほうが、社会を見据える大人になれるかもしれません。

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(※写真はイメージです/PIXTA)

(※写真はイメージです/PIXTA)

無理に就職活動をするのではなく、何か専門的な勉強をしたり、資格を取ったりしてから就職する、というのもひとつのやりかたといえるのです。

「こうでなければいけない」という思い込みをはずせば、この激動の時期も、もう少しラクに乗り越えられます。

いつもと状況が違う時期には、これまでの自分を振り返ったり、新たな時代のために知恵を絞ったりと、今までできなかったことをする好機です。

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親が子どもにばかり要求するのは絶対に間違いです・親も完璧ではないのですから!

学校の勉強、友達関係、受験や部活動……。保護者は、つい子どもが心配になり、先回りして、失敗しないように手はずを整えてしまいがちですが、それはやらないほうがいい。失敗しない人生を目指さなくていいのです。

保護者の方も、考えてみれば、たくさん失敗してきているはずです。

でも、ちゃんと生きています。失敗したからこそ、今の自分があるのです。

その自分に自信を持てばいい。むしろ、保護者の方は、子どもに失敗したときのことを話してあげてください。

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親が子ども時代のことを、子どもに伝えるのはとても大切なことです。親にも子ども時代があったのだと。そのときにはやんちゃだったり、忘れん坊だったり、恥ずかしがり屋だったり、自分のリアルな様子も話すと、子どもはほっとします。

「試験の前なのに小説ばかり読んでいて、ちっとも勉強しなくて最悪の点数だった」「試験の前日、友達といかに勉強していないかを夜中に電話していたら朝になった」「部活をサボっていたらレギュラーをはずされた」などなど。

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実は保護者だって、そんなにちゃんと勉強していなかったのです。品行方正でもなかったでしょう。それなのに、子どもにばかり要求するのも、おかしなことなのです。

さまざまな失敗をし、親や先生に怒られながら、それでもなんとかかんとか大人になって、今がある。そのエピソード自体が、子どものロールモデルになるのです。

でも話を盛ってはいけません。武勇伝を語る必要はありません。保護者の子どもの頃の写真や、卒業文集があったら、ぜひ子どもに見せてあげましょう。

「こんなに太っていたんだ!」「ちょっと不良っぽい」「汚い字!」などと笑い合うのも、楽しいはずです。

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そして、そんな子ども時代を送りながら、結婚して親になって、自分の面倒を見てくれている。

微笑ましく親近感の持てる子ども時代を共有しながらも、子どもは親の成熟を目(ま)の当たりにし、「お父さんやお母さんはそれなりにがんばったのだ」と痛感する。

そして、親に対して尊敬の気持ちも持てます。

失敗をしてこそ生身の人間、失敗してこそ親の今がある。

親がカビ臭い昔の、あるいはだれかが作った理想像を掲げ、「こういうふうになってほしい」「なぜなれないんだ」と子どもを責め立てたら、

それは自分の人生を棚に上げたことになり、血の通ったあたたかみのある話にはなりません。

それより、失敗を乗り越えた自分を子どもに語り、笑いの中から、歩むべき道を自分の行動から教えてあげましょう。

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