紫式部 源氏物語 総 角(あげまき)ー第四十七帖

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山里では耳馴れた川風も、この秋は特に悲しく聞こえます。薫中納言は阿闍梨と共に、八宮の一周忌法要のご準備をなさいました。

薫中納言が山荘をお見舞いなさいますと、御簾の隙間から名香の糸を結んだ糸繰台が見え、
「涙を玉にして、糸を通して……」と、誰かが口ずさんでいるのが聞こえました。

興味深くお思いになり、御願文に供養の心づもりをお書きになった横に

総角(あげまき)に長き契りを結びこめ  同じ所に縒(よ)りも合わなむ

(訳)飾り糸の総角に末長い契りを 結び込み、同じ所に睦みたい……

と書き添えました。大君は疎ましくお思いのようでした。

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中納言は恨めしそうに物思いに耽り、弁の君(老女房)にご相談なさいました。

「故宮が心細い晩年に、姫君をお世話下さいと頼みなさったのに、姫君が私を疎みなさるのは納得できません。

儚い露の世に生きている限り、心惹かれる方(大君)には、想いを遂げたい気持でおります。

是非お取り計らい下さるように……」と、今夜はお泊まりになるつもりでおいでになりました。

大君はすげないお扱いもできずに、ご対面なさいました。仏間の戸を開けて、御燈明の光をいつもより明るく照らさせ、簾に屏風を添えてありました。

大君が気をお許しになるはずもないものの、優しく愛嬌のあるご様子に胸が切なくなるようでした。

中納言は熱い御心の内をお話しなさいましたが、奥に入ってしまわれるご様子なので、
「遠い山路を踏み分けて来た私こそ苦しいのです。

ご一緒にいることで慰められ……」と、静かに屏風を押し開けて中にお入りになりました。

奥ゆかしいほどの火影で、姫君のご様子は大層美しくいらっしゃいました。

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姫君はとても辛くお思いになって、お泣きになりました。無理に迫るのも気の毒に思えて、優しくお慰めなさいました。

喪があけたら姫君のお気持も穏やかになろうかと思い直し、心を静めなさいました。

いつの間にか夜も明けてしまいました。美しい空の様子を眺めながら、
「こうして月や花を愛で、儚い世を二人で過ごしたいものですね」と申されますと、

「心の隔てなどありません。私も辛いのです……朝の別れを知りませんので……」とお応えなさいました。

遠くで鶏の鳴く声がしました。

大君は、「やはり私は独り身で暮らすことにしよう。美しい中君(妹)を人並みに結婚させて、私は心の及ぶ限りそのお世話をしよう……」と心に決めておられたのでございました。

九月になり薫中納言が再びお渡りになりましたが、大君は何かと言い逃れをしてお逢いになりません。

「なぜ疎ましくお思いなのか……。聖めいた八宮の側にいて世の無常を悟りなさったのか。今夜こそ大君のご寝所に……」と仰いますので、弁の君はその手筈を整えました。

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宵を少し過ぎた頃、風が荒々しく吹き、頼りない御邸の蔀(しとみ)がきしんでいます。

弁の君はこっそり中納言をご寝室に導き入れました。

ちょうど目覚めていた大君は、その足音に気付き、素早く物陰に隠れてしまいました。

燈火がほのかに明るい中、几帳の帷子を引き上げて、中に入られた中納言は、姫君が一人臥していらっしゃるので、心ときめかしなさいました……が、

違う人と判り、隠れてしまった方の冷たさを、情けなく悔しく思われました。

ようやく気持ちを静めなさいますと、美しく愛らしい妹君のお姿に、
「この方をも、他人のものにはしたくない……」とお思いになりました。

優しくお話などをなさりながら、何事もないまま夜を明かしなさいました。

三条宮邸が焼けた後、匂宮は六条院に移っておられましたので、中納言はいつもおいでになり、高欄(手摺)に寄り掛かって、宇治の姫君の話をなさいました。

匂宮は大層興味を持たれ、彼岸の終わりの日に、忍んで宇治にお連れすることになりました。

その日「薫中納言殿がおいでになりました……」という前駆の声も、姫君たちは疎ましくお聞きになりました。

中納言は、「お伝えしたい事がありますので、夜が更けてから、今一度、大君に逢わせて下さい」とお頼みになり、心には密かにお考えのことがあるようでした。

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大君は、廂の間の障子にしっかり施錠してお逢いになりました。

けれども、障子の間から姫君のお袖を捉えて引き寄せ、熱い想いを心深く訴えなさいました。

一方、匂宮は、打ち合わせの通り、戸口に立って扇を鳴らして合図なさいますと、弁の君が中君の寝室にご案内申し上げました。

中君は事情をまったくご存知なく、大層驚かれましたが………そのまま……

薫中納言は、お袖を捉えたまま、
「運命は思うようにはいかぬものでございます。お詫びは何度でも申し上げましょう。

ただ匂宮のご執心は、妹君にございましたので……」と申しなさいますと、

大君は、「運命のことは分かりません。今夜はどのようになさるおつもりか……このように企みなさった御心のほどを推察しかねております。……どうぞお袖をお放しください」

「貴女のお気持に添わぬことなどいたしません」と袖を放しなさいました。夜半の嵐を聞きながら、こちらは今夜も何事もないままお帰りになりました。

匂宮は早々と、後朝(きぬぎぬ)の手紙(契りの後の御文)をお書きになりました。

山里では大君も中君も、現実のような気がせずに、思い乱れておられました。

「いろいろ企んでいらしたのか……」と中君は、姉君をもお恨みになり、姉君も、
「怒るのも当然のこと……お可哀想に……」と思っておりました。

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ご結婚二日目の夜、中君は、
「……願わない結婚といっても、いいかげんにはできない……」と、お部屋なども山里らしく風流に整えて、匂宮のお渡りをお待ち申し上げました。

中君が美しく身繕いなさいますと、そのお姿は誠に愛らしく、ただ涙が溢れますので、お世話をする姉君もふとお泣きになりました。匂宮の愛情も更に深まり、心尽くして将来をお約束なさいました。

三日目に当たる夜にも、匂宮はお渡りになりまして、お餅を召し上がり、お二人の結婚の御祝をなさいました。

ただ内裏の多忙な日々を思うと胸も塞がって、
「愛していながら、訪れの途絶えることもあろうが、決して案じる事はありません。然るべき準備を整えて、必ず京にお移し申しましょう……」とお約束なさいました。

妻戸を押し開けて、明けゆく空をお二人でご覧になりますと、霧の立ちこめた情景が誠に素晴らしく思われました。

お供の者たちがお帰りを促しますので、匂宮は幾度も振り返っては、躊躇いながら京にお帰りになりました。

十月上旬、匂宮は紅葉狩りを催して、宇治にお出かけになりました。

この機会にこそ、紛れて山荘にお渡りになろうと大層忍んでおられましたのに、ご威勢のためその計画が広まって、上達部や殿上人など大勢が参加なさいました。

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紅葉を葺いた錦の舟で川を上り下りしながら、笛などを合奏なさいました。

その美しい音色は対岸の姫君の山荘にも聞こえてきました。

匂宮は、宴が静まってからお出かけになろうとお待ちのところに、急に内裏からの仰せ言があり、誠に残念ながら、今日は諦めて帰ることになりました。山荘では、

「……やはり月草のように移り気な方なのか……」と、姫君は思い知りなさいました。

匂宮は一時も姫君をお忘れになることはありませんでしたが、お訪ねになることもないまま、月日が空しく過ぎてゆきました。

一方、内裏では「山里へのお忍び通いは軽々しい」と噂がたち、匂宮を内裏にずっと伺候させるために、左の大殿(夕霧)の六君(ろくのきみ)を無理にも差し上げようと、縁組みが取り決められてしまいました。

その頃、大君がご病気になられまして、薫中納言は早速お見舞いなさいました。臥せておられる部屋の御簾の前にお通し申しますと、大君は、紅葉狩りの日に、匂宮が素通りなさったことをお話しになり、妹が可哀想で……とお泣きになりました。

夜になり一層苦しそうになさいますので、御修法などをさせて看病なさいました。

「捨ててしまいたいわが身なのに、生き長らえよ……とお世話くださる中納言の御心は本当にありがたく……」と、初めて慕わしくお思いになりました。

けれども匂宮と六君(ろくのきみ)との結婚の噂がお耳に入り、
「やはり一時の慰みに、この山里にお通いだったのか。……もうお終い。亡き父宮のところに私をお迎えください」と思い込んでしまわれました。

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夕暮の空が時雨模様で、何かぞっと寒気を感じるような気がしました。

内裏では忙しい日が続き、幾月もお見舞いがありませんでしたが、薫中納言は急に胸騒ぎがなさって、大切な御公務を放り出して宇治においでになりました。

老女房は「もともと弱い方で、匂宮のご結婚の噂を聞いてから一層思い悩まれ、衰弱してしまわれました」と泣きました。

中納言が大君の手を取って声をおかけになりますと、
「幾月も来て下さらないので、お目にかかれないまま、こと切れてしまうのかと……」と大層弱々しく、苦しそうになさいました。

けれども……やがてものが隠れてゆくように、大君はお亡くなりになりました。

独り残された中君には、何とも痛々しく悲しいことでございました。

「大君が望まれたように、あの夜、中君と契りを交わしていれば、これからもずっとお世話申し上げられたのに……」と後悔なさいました。

それからは京にもお帰りにならず、そのまま山荘に籠もってしまわれました。

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月日が過ぎてゆきました。激しく雪が降った後、十二月の月が差し込んできました。

夜明け前、匂宮が深い雪に濡れながら、山荘の戸を叩きなさいました。

今頃訪れても、全てがもとに戻るわけでもないので、姫君は思い沈んだまま、ただご無沙汰のお詫びの言葉を聞いておられました。

匂宮は、姫君が嘆き悲しんでおられるご様子に胸が痛み、二人の将来を繰り返しお約束申し上げましたのに、

中君は、「過ぎ去った日々さえ心細かったのに、どうして将来が頼りになりましょうか……」と、かすかに仰いまして、奥にお入りになりました。

匂宮は大層嘆きながら夜を明かし、「何としても京にお連れしよう……」とお決めになりました。

中納言はそれを聞いて、「匂宮の代わりに、この私こそが、姫君をお世話しようと考えていたのだが……」と、中君を手放すことを、悔しくお思いでございました。

( 終 )

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